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ルールがないところに自分でルールを作る力の話

2008年11月29日

先週末は,つくばで法律事務所を始めた友人のところにお世話になっていて,つくば市内を案内してもらってたんですけれど,その折,ふとそんな話が出たのでした。「ルールがないところに自分でルールを作る力」の話。

つくばは研究者の街ということもあって,あちこちにインテリジェンスを感じます。歩いてる子も,頭がよさそうに見える。で,そんな様子をみて,あたしゃ「こんなとこに住んでたら頭のいい子が育つんだろうな」とかいった感想を漏らしたのでした。しかし,教育施設や文化施設が充実しているということは,「自分でルールを作る力」にとっていいことなのか,それとも悪いことなのか。友人の話が出たのは,そんな文脈でした。

科学技術なり文化なりってのは,書物や施設,あるいは記念碑や銅像なんかによって,固定されてしまうところがある。また,ある意味権威的に「正しいもの」を押し付ける側面もある。例えば,つくばエキスポセンターを訪れたときのこと。ここには,ゆるぎ石という不思議な石があるんですけれど,それを見ていた女の子が「なんでなんで?」と疑問を発していたのでした。

こうした反応は,大人からすると,まったくもってシメシメな反応なです。しかし,それは本当に好ましい反応と言えるのだろうか。ゆるぎ石には科学的に説明できる仕組みがあるわけで,それは科学的な原理に基づいて「設計」されたものだったりします。これは,今説明できることを教科書的に反復しているに過ぎない。少し思想的な文脈を持ち込むと,このことは,特定の法の歴史(科学史)に加担ないし参与させる権力として作用しているとも言える。

友人曰く,「ここから先(仕組みを知ってから先)を自分で作れるかが問題なんだ」とのこと。

あたしゃ,どうやったら頭のいい子が育つのか,まったく知らないんですけれど,発想する力に限ってなんとなく感じることに,「発見慣れ」みたいなもんはあると思うんですね。新しいことを発見したり作り出したりするってのは,誰もがすぐにできるもんじゃなくて,訓練する必要があると思うわけです。そしてその発見する能力としての知は,静的な知識だけではなく,多分に身体知的な要素を孕んでいる。ある発見を「幸運だったから」と評価する人もいるけれど,「幸運の女神には前髪しかない」ってな諺もあるわけで,女神を正面からつかまえる訓練と心構え(慣れ)を持ち合わせていなくちゃいけない。つまるところ,子供の頃に,小さな発見を積み重ねて,発見することなり発想することなりに慣れておく必要があるじゃないか,と。もちろん,その発見の過程は,教科書的に企てられたものではありえない。

この話で,既存の教育制度なり教育施設なりに,文句をつけるつもりはまったくないんですけどね。ただ,子供が発達していく上で,大人がどのようにフォローしていくのがいいのだろう,とか,最近とみに思うわけです。

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