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今読んでる本 - 『歴史の〈はじまり〉』

2008年12月25日

結構前に買ったんですけど,積み本になってたんで,今消化しています。

歴史の〈はじまり〉
歴史の〈はじまり〉
posted with amazlet at 08.12.25
大澤 真幸 北田 暁大
左右社
売り上げランキング: 18788

本書は,2004年から2007年まで『d/SIGN』で行われた,大澤真幸氏と北田暁大氏の対談集です(全4編)。対談本は,分量の割に内容が薄いもんが多いので普段あまり買わないんですけど,パラパラやってたら面白かったので購入。2004年の対談あたりは,さすがに時代を感じてしまうところがあるけれども,今読んでもちゃんとした読み物になっているのは,さすがの両名と言うべきか。

この対談は戦後日本の精神史を描き出そうというもので,特に世界に対する没入あるいは反省の形式について,時代的な観点から検証するものです。どちらかというと,左派的な言及が強い感じがするのだけれども,まぁ右とか左とかって区別しながら読むような本じゃありません。今のところ,2つ目(「その程度のもの」としてのナショナリズム)まで読み終わって,全体の半分くらいを消化しました。

で,まだ半分しか読んでないんですけれど,中身に触れると,面白かったのは2004年の対談(ポスト〈日本戦後史〉にむけて)。オウムと連合赤軍を主題に取り上げて,世界に対する没入の形式について検討しています。いわゆる連赤が,「共産主義の地平」なるものに向かうべくベタに「反省」を突き詰めた結果,総括に至ったのに対して,オウムのあれはアイロニカルに没入しているとか云々。言い換えれば,オウムはメタに(あえて)没入しているという話。世界との距離の取り方という視点からすると,たしかに両者には際立った相違点を見ることができる。

この点で,大澤氏はメタな反省つまり「アイロニカルな没入」は,本当の意味での(ベタな)没入と違いがない旨指摘します。おそらくそれはその通りで,「あえて〈あえて〉をやる」といった宮台的な身振り=戦略ですら,ミイラ取りがミイラになるようなベタっぷりに回帰せざるをえなくなってしまった(と,簡単に言ってしまうと怒る人もいそうだけれど)。そうした中,世界に対して私たちはどのような身振りをとることが可能なのか,興味のわくところです。

個人的にはですね,意味的なものから疎外されつづけるってのが,今時の生きる術のひとつなんじゃないかと思ったりするわけです。一方の極には,あえてであれベタであれ,ぷちナショとかファスト風土的なあれこれのような,「過剰(だけど根拠が希薄)な意味」に絡め取られて落ち着く人たちがいるわけですけれど,他方の極として,そうした「意味」の濃度を徹底的に希釈化させていく戦略もあると思うんです。

それはおそらく,未来に立ち現れるであろう「意味」に向かうこと(近づこうとすること)の所作だと思うわけで,脱意味化(意味から距離をとること)とはちょっとニュアンスが違う。ここら辺については,いろいろと考えるところがあるのだけれども,少なくとも,「疲れちゃった人」とか「お腹一杯な人」にとっては,ある種の希望になるんじゃないだろうか。よく分からんけど,そんなこんな思いつつ,続きを読む。

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