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NHKスペシャル「激論2009」を見て竹中平蔵氏は衰えたと思った

2009年01月04日

1月1日に放送していた「NHKスペシャル『激論2009』 世界はどこへ そして日本は」を見ていたんですけれど,新年早々トホホな気分になってしまいました。何より,竹中氏の衰えっぷりがもうなんだかね……。

竹中氏は,「現状は規制改革が進まないことが原因だ」と「徹底的にリアリストたれ」なる文句を繰り返していたんですけれど,この掛け声は,政治家的立ち位置にいてこそ有効なわけで,学者が口にする言葉ではないのだと思う。特に,同氏が強調していた「徹底的にリアリストたれ」なる文句には,現状に至る過去の追認と理想主義的なモデルの軽視(または放棄)という,英米的プラグマティズムの悪い面が出てしまっていた。

歴史の〈はじまり〉
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この関連で,今日読み終わった『歴史の〈はじまり〉』の一節を引いておきます。

北田……この間、笠井潔さんと話したときに、ちょうどいまみたいな話が出ました。笠井さんは、北朝鮮関係のことで不幸なのは、例えば姜尚中さんみたいな人がプラグマティックな語法に則って語らざるをえなくなっていることだ、とおっしゃっていた。つまり、本質的には、理想主義的、あるいは原理的に詰めてきた北朝鮮問題を考察している姜さんみたいな論者が、現状のメディア言説の配置図のなかではプラグマティックな政策論を展開せざるをえなくなっている、ということです。

「リアリズム」を主張するプラグマティズムと、安倍晋三的なバイオレントな強硬主義が存在感を獲得する状況のなかでは、「原理的」「理想主義的」な提言は構造的に禁じられてしまう。言語を行き届かせるためには、本来ラディカルな思考を持つ姜さんですらプラグマティズムにおさまらざるを得ない状況になっている。

『歴史の〈はじまり〉』(大澤真幸,北田暁大,左右社,2007年,p157)

話が北朝鮮問題で,しかも安倍政権以降の話なので,竹中氏のポジションとはまったく異なるんですけれど,ここ数年の政治傾向として,理念的・原理的・基礎付け主義的な議論が退潮にある点については,非常に重なるのだと思う。少年事件の厳罰化にしても,セキュリティ関連の政策にしてもそう。「プラグマティックな」というと,それっぽく(学的に)聞こえるところがあるのだけれども,要するに現実の害悪を持ち出す点で,威嚇や脅しによる政治と言ってもさほど変わりがない。

で,竹中氏は「リアリズム」なるもんをしきりに主張していたのだけれども,何より,この脅しに迫力をまるで感じられなかったのがイタかった。プラグマティックな振る舞いそのものについては,「そういう人だからね」とか思うだけなんですけれど,ドスの利かせ方が鈍ってしまったというか,あー……こうやって人は衰えていくんだ,とか思ってしまったのだった。これにはおそらく,為政者的(学者的)リアリティと庶民的なリアリティが乖離してしまった,というのもあるのだと思う。不良債権処理の当時,為政者において認識されていたリアリティは,庶民的なリアリティとある程度重なっていた。しかし,両者が異なる夢を見ている場合では,脅しの程度も弱まってしまう。

個人的には,庶民的な作法として,竹中氏の「リアリストたれ」な言説には「あえて」乗っかるべきだと思っていたりします。それが,竹中氏にとって逆説的な帰結になるとしても,「生き残るため」の庶民的なリアリズムは追求していかなくてはならない。庶民的なリアリズムの最たるもんは,ま,要するにテロってことになるのかな……。それはさすがにアレだとは思うんですが(※念のため,こんな文章に煽られないでくださいね)。

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