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非市民からしたら派遣村は偽善でもなんでもいいんだと思うんですよ

2009年01月07日

こちらの話から。

「年越し派遣村」なるイベントが、与野党のポピュリズムに利用されている。民主党の鳩山幹事長が代表質問で、派遣村にコメントした坂本政務官の解任を要求したのには唖然とした。日本の政治には、もっと大事な問題がたくさんあるだろう。完全失業者は250万人もいるのに、なぜ日比谷公園に集まった500人だけを特別扱いするのか。

「派遣村」の偽善 - 池田信夫 blog

職に困ってない「市民」が,プロパガンダと言おうとポピュリズムと言おうと,くれるもんはもらう,くれない人には付いていかない。くれそうなら「くれ」と言ってみる。日比谷公園に向かえなかった運の悪い250万-500人は,「運が悪かった」と思って泣いてもらうだけ。生存するには運も必要。

そもそも,「プロパガンダ」も「ポピュリズム」も「市民の言葉」なわけで,なぜころ問答と同じくらい無意味な議論だったりする。生存がかかっている無視された非市民(※蔑視表現では決してありません)には,プロパガンダと呼ばれる X であれ,ポピュリズムと呼ばれる X であれ,何でも受け取る割り切りというか,世間様の見せる甘いところにだけ,あえて乗る図太さみたいなもんが必要なんだと思う。

池田氏の議論は,市民的に正論であって,どこにも瑕疵はありません。しかし,いや,そうであるからこそ,市民と非市民の間に横たわる断絶が際立ってしまうのだろう(参照:qune: 勝ち組のお作法は無視することであり(アンチ)ヒューマニズムを標榜することではないという話)。この深く暗い断絶を,「政治的に」どう見るのか。あたしが市民的論客に対して注目しているのは,この一点だけだったりします。逆に言えば,市民的正論なんつのは,池田氏が言うまでもなく当たり前すぎる話なわけで,偽善と言おうがなんと言おうが,政治的な駆動力を持たないお飾り-タテマエに過ぎない,と。

同様に,サヨ的に見てイベントが成功したか否かといった話も,結論がどうであれ結局は市民領域の話なわけで,非市民的には関係がない。何ガチガチ言ってるのかよく分からんけど,勝手にやっててくれ,といったところだろう。右だろうが左だろうが,食わせてくれるところが正義,とか云々。

大体,こゆ話を既定のフレーム(右と左)に振り分けてる時点で,既に断絶を作っちゃってるんだろうな。生存がかかっていない市民的社交は,おままごとにしか見えない。

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