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このサイトで自己責任論について書いた話をちょっと集めておく

2009年01月18日

こちらの話から。やはり自己責任論は,道義的責任(倫理的責任)と同視される傾向にあるのだった。

自己責任論の人たちを叩くオマエの態度があまりにも「慎みに欠ける」ものなので、ぼくは考えてしまうんですよ。その、「まるで今までに罪を犯したことのない人のような素晴らしい石の投げっぷり」を見ると、オマエ自身社会の一員であり派遣切りに責任があることをすっかり忘れてるんじゃないだろうかなーって思ってしまう。

2009-01-16 - 「で、みちアキはどうするの?」

後でちょっとまとめて書くと思うので,関連のありそうな話を集めておきます。ま,そんなにないんですが。

あたしは,「ロスジェネ話と……」で書いた通り,ネオリベ的な自己責任論には(道義的なそれも含めて)「あえて」乗るべきだと思っています。で,社会福祉的なあれこれについては脱社会的なところで(つまり個々人の顔が見えるレベルの話)で進めるのがいいんじゃないか,と。フレーズにすると過激になってしまうけれども,端的に言うと「もう政府はアテにしない」。

2004年頃,「頑張った人が報われる社会」なるものを標榜した政策が進んだわけですけれど,これは「頑張らない人は報われない社会」ということでもあった。ネオリベに「あえて」乗ってるあたしは,まぁそれはそれでいいんだと思う。

一方,現状ではどうやったって「頑張ない人」についてはどうするのか。この人たちは「頑張ってない」ことには違いない。しかし,彼/彼女らを,「報われない(つか生きていけない)」ということにしていいのだろうか。2004年頃は「セーフティネット」とかいう,わけの分からん横文字でごまかされていたわけですけれど,実際この網の目は相当に大きかった。落死してる人,たくさんいるもん。反面,「頑張らない人」(池田氏にいわゆるノンワーキング・リッチ)は報われないどころか,ますます富を蓄えている(ように見える)。

で,この「頑張らない人」と「頑張れない人」の境界に,倫理的な責任論(「頑張るとは……」な話)が入り込む余地があると思っていたりします。んでもって,これ,結構水掛け論になりうる。あとで少しまとめて書くつもりです。

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