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対立もひとつのコミュニケーションのはずなのだけど

2009年01月21日

こちらの話を読ませていただいて。あまり関連していないかもしれないけれど。

「私はそうは思いません」

という一文を、文脈を無視して切り出した時、あなたはこれを「否定」と捉えるだろうか。

勿論、文法的には Don’t であり否定であることはわかりきった問題なのだが、個人的にはこの一文のみを切り出した場合、「否定」の意味よりも、何か「異論」があるのだと解釈する。異論といってしまうと堅苦しいが、「私は別の意見だなぁ」くらいの感じだろうか。しかしながら、

「そうは思わない」=「同意できない」=「否定」=「対立」

という概念を直結して解釈する人というのは意外に多い。

「私はそうは思いません」は「否定」か否か - suVeneのアレ

よくある話なんですけれど,この話,日本人論とか心理学上のホゲホゲとかにしてしまうと,結局倫理的な話に陥ってしまうもんで,落としどころが微妙だと毎度のことながら思います。こゆ落としどころに解決することは,もちろん議論として成り立つとは思うんですけれど,結局のところ,日本的ムラ社会の倫理に代わる規範が云々とか,パーソナル障害ホゲホゲな人との接し方(接する倫理)とかいった具合に,個人の内面に訴えかける規範になってしまうわけで,なんつか,こゆ結論は一般論ならともかく,具体的な個人にとっては結構厳しいものになる。

つことで,こゆ話は具体的な個人の立ち振る舞いの話として,プラグマティックな方向に倒すのがいいんでねいかなあ,とか,最近思っています。

そこで自分の話をすると,個人的には自分と違う意見が出てくると割とわくわくするタイプなので,自分とどこが違うのか,もっと聞きたくなったりします。「どこが違うのか」つまり,相違点がお互い分かるだけでも,それなりにハッピーだから。これに対して,あまりにもありきたりな不同意の意見には,「嫌な気分」というよりは「面白いことを言わない人」みたいな印象を持ってしまう。「へぇ」で済ませてしまうことが多いです。

じゃあ,実際に反対の意見を提出する/されるとき,どのように振る舞うのが無難なんでしょう(無難っつのもアレなんだけど)。

では、そのようなイメージを持つ人々に対して、「私はそうは思わない」を伝えたい場合、どのようにすればよいか。まぁ、無理して伝えなくてもよいのだけれど、なんやらかんやらでそのような状況がきた場合、どのようにするのか、だ。

「私はそうは思いません」は「否定」か否か - suVeneのアレ

あたしの場合は,相手の文脈で考えてみて(相手の意見に一旦乗ってみて),相違点なり利点・欠点なりを洗い出してみてから,それを相手に確認するような方法で「そうは思わない」を表明していることが多い気がします。抽象的なので,具体例で言うと,こんな感じ。

相手:「今度の飲み会は鳥せい(焼き鳥屋(仮称))がいいと思う」

(自分):(鳥せいは美味しいけど,この前の飲み会でも使ったんだよな。今回は肉角(焼肉屋(仮称))にしたい。)

自分:「あそこ美味しいもんね。この前も鳥せいだったけど,そんなにお気に入り?」(確認)

相手:「安いし美味いからね」

(自分):(価格もネックみたいだなあ……安さで見たら肉角はキビシイか。)

自分:「あたしゃ肉角がいいと思ったんだけど。肉つながりつことで行ってみねい?」(無理矢理共通点を見つけてややチャレンジ)

相手:「あそこ高いじゃんよ。でも,なんでまた肉角?」(←なんで?と聞いてくれる人はありがたい)

(自分):(安くて美味けりゃいいのかな?こっちは「鳥せいはこの前行ったから別のとこ」くらいの理由しかないな,そういえば。)

自分:「たしかに高いやね。こっちはまだ行ったことないとこに行ってみたいってだけなんだけど。そういや,鳥せい以外も安くて美味いとこ知ってるよ。やまふじっていうお好み焼き屋(仮称)なんだけど……。」(手持ちの理由は出してしまって,相手の意向に合うと思われるモノにも合わせてみたので,後はどこまで妥協できるか自問してみる)

ここから先を作り込むと眉唾がさらに眉唾になっちゃうんで控えますけど,こんな感じで,相手の妥協点なり本音なりを探りながら,自分の妥協点も探っていく感じで対話している感じがします。もちろん,実際はこんなにスマートには進んでません。また,かなり回りくどい方法なので,多人数が絡むと全体の話を混乱させがちです。上の例は,リソースがひとつだけの場合(その日一回限りの飲み会の場所を決める)なので,ある程度妥協することはお互い覚悟している場合が多いんじゃないかと思います。これに対して,個々人の考え方(世界観とか)を述べ合う場合なんかは,何でも言えるし両立しても問題ないことから,かえって妥協する余地が少なくなっている気もします。

一方,いずれにしても対立-妥協といったコミュニケーションの形式を取ることは,特にネットでは難しい。というのも,ネット上の対話は単発的なものが多くて,一回限り「自分は違う」と言われるだけじゃ,対話のしようがないからです。対立もひとつのコミュニケーションのはずなんだけれど,ここには対立すら生まれていない。

個人的に,ブクマコメントをはじめとした単発的なコメントの位置付けは,テレビを見てるときのツッコミみたいなもんなんじゃないかと思っていたりします。ひとりでテレビ見てても,「んなことあるめい!」とか言うでしょ?言わないか。あれと同じようなもん。ほめてもらったらもちろん嬉しいけれど,対話の可能性が希薄な分,反対意見にはなかなか応えられないなあ……とかとか。

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