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数学が語る物語と数学嫌いの女子の話

2009年02月15日

朝刊を読んでいたら,数学嫌いになる女子の話が面白かったので,ちと紹介。

この現象は「女子は抽象的な概念の把握が苦手だから」と説明されることがあります。が、私は、中学・高校の理数科の教え方が女子生徒の精神構造にマッチしていないからだと考えています。

男子生徒を観察していると、彼らが「限界突破」や「競争」に強い関心を持っていることが分かります。一方、女子生徒は「共感」や「全体の物語の把握」に非常に価値を置いています。女子生徒は,今自分がいる場所を確認できないと、迷子になったと感じ、成績の良し悪しにかかわらず、強い不安感を訴える傾向があります。

中学・高校の数学の教科書では、各単元の定着には心を配っています。が、2次方程式の解の公式の「数学全体のストーリーにおける位置」といった情報は提供されません。

「女子が数学嫌いになる理由」(荒井紀子,朝日新聞2009年2月15日付朝刊23面)

性差を問題にするところは,あまりよく分からなかったんですけど,中学・高校で学ぶ数学の物語性が希薄な点はたしかにあると思うし,それが数学嫌いになる要因になっているところはあるんだと思います。ここにいう「物語」について,コラムに詳しい意味が書かれていなかったんですけれど,あたしは各単元の体系的な位置付けのように理解しました。2次方程式の解の話は,言ってみれば各論なわけで,そこから数学の全体像を把握することは難しい。

この点,数学を使う各論分野(問題系)には,それぞれの体系があります。ベイズ統計にしても暗号・符号理論にしても,フーリエ解析にしても,その分野に体系付けられた説明のしかたなり解法なりが体系付けられている。しかし,これはあくまでもそれぞれの問題系における体系なわけで,純粋数学そのものの体系ではない。純粋数学的に見ると同じような話が,それぞれの問題系でひょっこりと顔を出すこともしばしばあります。つことで,各論における体系は,純粋数学によって解明された公理系を「目的論的に解釈した結果」なんだ思っていたりします。

しかし数学の場合,この目的論的に解釈した体系にすら,かなりの抽象性がある。総論ではそれらをさらに抽象化しているわけで,ほとんど哲学に近い。そういえば,フッサールも難儀していたのが,数学の基礎付け論だったっけ。こゆ話はオトナの話なわけで,少なくとも中学生・高校生だった頃のあたしには理解できなかったと思う。今もかなり怪しいが。

んなもんで,引用中「数学全体のストーリーにおける位置」を提供するのは,とても難しいんじゃないかと思ったりします。文系であれ理系であれ,数学の体系なるもんは,大学に入って初めて直接的または間接的に知ることになるんじゃないだろうか。今は黙って耐えろ……っつのも,ま,無理な話だとは思うんだけど(その前に嫌いになっちゃう)。

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