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「自分と他人は違うもんなんだ」と見せ付けられた時の衝撃の話

2009年02月19日

まだ小学校にも上がってない頃,住んでいたマンションに4つ上で仲良しのお兄さんがいたんですけれど,そのお兄さんについて,母親に聞いたことを思い出しました。

僕が小学校に上がったら,○○君(そのお兄さんの名前)と学校で会えるんだよね?

母親は「そうだ」と答える。普段は放課後にマンションの駐車場で遊んでいるけれど,小学校でも一緒に遊べて遊ぶ時間が増えるから,嬉しかったんだと思います。で,こう聞く。

小学校が終わったらどうなるの?

母親が「中学校に行く」と答える。また別れることになるので,寂しかったんだと思います。で,こう聞く。

じゃ,僕が中学校に上がったら,○○君(そのお兄さんの名前)と学校で会えるんだよね?

母親は「会えない」と言う。これは当たり前の話で,4つ上だったから,あたしが中学校に上がる頃には卒業しちゃってるって意味。同じ調子で高校でも同じ学校になれないわけで,これが割とショックだった覚えがあります。で,最終的に大学と大学院に行けば,(年齢的に)学校で会えることが判明。同じカイシャに行けば,もう万事オッケー(意味不明)ということで安心したのでした。

けど,そのお兄さんは,結局高校を卒業して就職してしまいました。マンションも出てしまったので,もう15年以上会っていません。多分,これから先も会うことはないんだと思うし,いつまでも「一緒に」遊ぶ環境にいられるわけでもないっつのも当たり前の話だったりします。

今となっては,もう流石に慣れっこになったんですけれど,自分が過ごしている時間の流れ方なり環境なりが,他人のそれと決定的に違う瞬間に出会う時,言葉にしがたい「あああ……」な気分になることがあります。この「あああ……」は,感嘆でもあり寂しさでもあり絶望でもあり驚きでもあり。とにかく,「あああ……」としか言いようがない状況です。

こういう状況は,例えば,高校で自分と大して歳の変わらない女の子が,雑誌のグラビアに載っているのを見ても思った。なんつかもう,これから自分が行く先をトレースしても,絶対に交わることがないだろう道に踏み出している人を見て,「あああ……」な気分になる,と。

高校生時分なんかは,これからが人生つか,まだ人生っぽいもんも始まってもいないような年齢だと思うんですけれど,その時点ですでに分化が始まっている。あの頃は,「可能性の塊」とか言われていたけれど,この時点で早くも自分の「不可能」を見せ付けられた気分になる。念のために言っておくと,この話は,どちらの道が優れていて,どちらの道が劣っているとかいった話ではありません。「自分と他人は違うもんなんだ」と,あまりにもはっきりと見せ付けられた時の衝撃として,「あああ……」な気分になるということ。

話を少し変えます。あたしゃ,あまり他人の境遇とか環境とかを気にしないところがあって,それはそれで場合によって失礼なところもあるんですけど,人との接し方が割とフラットな方なんじゃないかと思うことがあります。育ちの良さとか学歴とか経済状況とかは,ほとんど気にしないもんで,「自分は偉いんだぞ光線」とか「自分はかわいそうなんだぞビーム」とかが来ても,気がつかない(か無視してる)。空気読まない。で,これは多分,冒頭のような衝撃があったからじゃないだろうか,と,今にしてみると思う。

「あああ……」の衝撃は,自分と他人が決定的に異なる何かがあることを確信/実感してしまった衝撃だと思うわけで,なんつか,そういうもんを(全部ではないものの)かなりの程度受け入れてしまったんじゃないかと思ったりもします。それがすばらしいことだと主張するつもりもなけりゃ,欠点だとも思いたくないので,まぁ,ただそれだけの話なんですが。

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