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刑事法の実質化話とかもううんざり

2009年02月21日

うんざりだけど書く。こちらの話から。

つまり建築基準法に違反することは「大震災のときにはあっさり崩壊する」ことを意味しないのだ。国交省がそれを摘発したのは、法律に違反するからであり、メディアが集中攻撃したのも、耐震データの偽造という明白な違法行為を本人が認めたからだ。役所やメディアが攻撃するのは、実質的な安全性ではなく手続き的な違法性なのである。

コンプライアンスと法令遵守 - 池田信夫 blog

「手続き的な違法性」なるもんは,訴訟法上の専門用語だから軽々しく使わない方がいいんじゃないかと思った。ま,それは「形式的な」話だからそれとして,引用ブログ主さんは,「違法性」についてもう少し検討した方がいいと思う。少なくとも法律の話をするのなら。

昔は一方的な情報でスキャンダル報道をしたが、三浦和義が起こした大量の名誉毀損訴訟でメディアが連敗し、強制捜査が行なわれるまでは犯罪者扱いしないというルールが確立した。これ自体はいいことなのだが、こうした原則を拡大すると、非公式の情報による調査報道はほとんどできなくなり、警察が立件した事件に報道が集中する結果になる。

コンプライアンスと法令遵守 - 池田信夫 blog

こういう話に憲法を持ち出すのはアレだけれども,強制捜査が行われたって,本当は犯罪者扱いしちゃいけないのが憲法のタテマエなわけで,対国家の関係では,有罪判決が確定するまで無罪推定の原則が働いている(日本国憲法31条,国際人権B規約14条2項)。で,こういった原則に対するコンプライアンスについて,メディアや私刑を実施する連中がどう考えているのか,あたしゃ学生の頃から非常に疑問に思っていたりします。それこそ,「強制捜査が実施された」といった「形式的な事実」でもって,「形式的な正義」を振りかざし,私刑を執行しているのではないか。

ブログ主さんが言っている,「刑事法の(きれいめに言えば)実質化」のような議論は,刑事法の分野ではしょっちゅう話されることで,例えば少年法周りで私刑(国家的な正当性の担保なしに社会的な制裁を加えること)まがいのことが行われる際の,大きな根拠となっていたりします。それにもかかわらず,刑事法が構成要件から違法性を形式的に推定するような理論構成を採るのは,少なくともタテマエ上,国家が国民の権利・財産を剥奪する重大性から,価値的な判断を極力排除するためだったりする。こまわり君じゃないんだから,価値的な判断で「死刑!」とか言えない。

そんなもんで,こういう言説は,少なくとも刑事法的(公法的)に見て非常に危険な思想だと考えざるを得ない。

法律を視野の狭い法律家から解放し、一般市民が健全な常識にもとづいて法を運用できるような規制改革が必要である。

コンプライアンスと法令遵守 - 池田信夫 blog

「重大な」とか「健全な」とか「常識」とかいった,一見きれいめな言説でもって,法治主義的な価値は退行させられる。言われるまでもなく,そういった「常識」なるもんと形式的で謙抑的であるべき法制度のバランスを,法学は常に考えているわけで,一方だけの価値を重要視するのは危ない。一部では,この「常識」なるもんを一義的に決定できると考えがちだけれども,これが歴史的で価値的な政治上の概念であることは,歴史的にみて明らかだったりする。なんだか左翼的な語り口になってるけど。

もちろん,建築基準法上の行政刑罰については,対象が専門分化しているために,司法部門が知見的に追いついていないところがあるんだと思います。専門的な知見からして,さらなる規制を独自に設けなければ,業界的あるいは社会厚生的に悪いことが起こりうることを否定するもんじゃない。しかし,刑事法上の規範は,コンプライアンスの最低水準なわけで,それすら形式的に遵守できないようなところが,もっと重大で実質的な問題に面と向かうことができるのだろうか。

行政刑罰は司法部門が課す刑事罰なわけで,行政指導のような行政部門独自の処分と比べて違法性の程度が高い。両者を規制行政の文脈に乗っけて同一視するには,それなりの慎重さをもってしなくてはいけないとは思うんだけれど,なんつかね。なんなんでしょ。

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