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専門家ほどその領域を相対化できていないといけないという話

2009年02月28日

法律の話はみんなが関わっている話だし,成文法を持っている日本では比較的身近なもんですから,結構みんな言いたいことが言えちゃったりします。それはそれでいいんですけれど,「法律を肴にした飲み屋の話」と「法律論」は違うのだとは思う。法律論と称するモノが,ただの「くだ巻き」になっていることがたまにあるので,注意注意。

法律の文言解釈なり制度論なりなんつのは,人によってどうにでも解釈できる話なわけで,これは反対から言うと,解釈論が本質的に目的論的だということでもある。ここら辺に自覚的かどうか,というところが,マシな法律論を展開しているかどうかを判断するメルクマールなんじゃないかと思ったりします。

例えば,駐禁切符を切られて,「こんな些細な小悪に警察力なんか使わないで,巨悪に向けろ。税金払ってんだぞこのヤロー」みたいなことを言って逆ギレする人が本当にいる。しかし,こんな話は,新橋のガード下かそこらでやってくれいとかいったもんなわけで,高級/低級のいかん以前に一般性をもたない印象論に過ぎないんだと思います。警察行政を自分の都合のいいように解釈しただけの話(切符切られたくない)で,それ以上の意味を持っていない。法律論を展開する以上,一般化する視点を無視することはできません。

一般化というと,どんな領域にしてもそうだとは思うんですけれど,専門にしている人ほど,その領域におけるメタ的な視点を持っていないといけないと思うんですね。つまり,その領域を他との関係で相対化できるということ。というのも,当然のことながら,領域外にいる人は,その領域に向けて必然的にメタ的な視線を向けているからです。一般論を展開する以上,そのメタ視線には答えられなくてはいけない。

例えば,先日ちょっと話題に出した無罪推定原則は,高校生でも概要は知ってるし,大学に入っても1年次には聞く超基本概念だったりします。しかし,超基本なのは,その領域内の話なわけで,その基本概念がメタ的にどのような位置づけにあるのかは,専門にしている人ほど把握していなくてはいけない。領域外の人間に向けて,「無罪推定原則も知らないバカ」とか言っちゃうと,自分の専門性のなさを逆に露呈してしまう。

メタ視線というと,法律学に対しては「自民党が政治で決めた法律をどうやって学問するんだ?」とかいったメタ視線が投げかけられれている(これは実際に聞いた話)。「視野が狭い」とかも言われてるか(半笑い)。経済学に対しては,「存在しないアクターを想定した存在しないモデルをモトに,実現しない数字をはじき出すことが経済学なのか?」とかいったメタ視線が投げかけられている。こうした視線に「お前がバカなんだよ」と言ってしまいたい欲望をどこまで抑えられるのか。ここら辺が,学問の本質なんじゃないかとすら思ったりします。

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