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パチンコ屋の駐車場置き去りとマンナンライフとか

2009年03月14日

こちらから。あまり引用に沿って書けなかったんですけど。

素朴な疑問なんだけど。親がパチンコに熱中して駐車場の車の中にいた子どもが死んでしまったりすると「虐待」といわれることが多いと思う。凍らせた蒟蒻畑で窒息死させたのが事故だとして、パチンコの事例が事故とされない理由は何なのだろう。

結局、「常識」を巡る争いなんじゃなかろうか。暑い日に冷房を切った車の中に子どもを置き去りにしたら死ぬのは当たり前、それを知らなかったはずがない、よって虐待。

メモ:よくわからない

刑事法の話にすると,一般的に「親がパチンコに熱中して駐車場の車の中にいた子どもが死んでしまった」事例は,保護責任者遺棄致死罪の成否が問題になるのに対して,マンナンライフの事例はせいぜい(重)過失致死傷罪が問題になるにすぎないのだと思う。で,過失致死傷罪というのは,そんなに重くない(50万円以下の罰金)。過失に基づく結果に対する責任は,被害が重大でも一般に軽く設定されています。どうしてかという話は,専門的な話になってしまうので省略(過失が違法要素になるかは見解が分かれているんだけれども,あたしゃ違法・責任要素と解したい……という脱線)。

反面,保護責任者遺棄致死罪というのは,故意犯もいいとこなので,普通責任は重い(傷害罪の処断刑と比較して重い方)。生活用語では,「うっかり(過失で)置き去り」とかいった言い回しがあるのかもしれないけれど,刑事法の話になると,「置き去りにすること」の客観的な認識さえあれば故意を認めることができるので,「うっかり置き去り」なんてことは普通ありません。

んなもんで,刑事法の話で言うと,置き去りの方がダントツで責任が重い。で,こゆのを,生活用語では「虐待」と言うんだと思います。

一方,引用に言う「事故」というのは,多分,誰か過失や不可抗力に基づく結果(のようなもの)なんだと思う。マンナンライフの話は,あたしもブログ主さんと同じく事故だと考えていて,つまるところは「常識」をめぐる争いと言っていいんだと思います。ただ,その中身はもう少し細かく分析することができるんじゃないか,と思っていたりします。

事故を「誰か過失や不可抗力に基づく結果」とした場合,マンナンライフの話は,不可抗力とまでは言えないものの,過失の範疇には入るんじゃないだろうか。食物の安全性は,客観的なそれと主観的なそれがあるわけで,ダメそうなもんでも「常識的に」食べられていたりする。どう考えたって,「お前がその餅を食うのはギャンブルだろ」というジジババも,普通に餅を食うし食べさせられることもあるわけで,客観的な安全性の他にも,「食う/食わせるべきか」を決定する基準はあったりします。ここら辺の事情をどの程度汲むかが問題なんだと思う。

刑事責任(あるいは刑事政策)の分野で,故意が重くて過失が軽いのは,平たく言えば,世の中の不条理に基づく不利益を当人(犯人)に負わせてもいいか(帰責させてもいいか),という話だったりします。したがって,過失に基づく責任を広く認める規範体系は,過失の程度が軽ければ軽いほど結果責任(無過失責任)に近くなるわけで,結果として非常に厳しい体系になる。で,ここら辺は,社会全体が不条理に対してどれだけ許容できるか,といった懐具合の話だとも思うわけです。最近は,世の中の不条理をどこかに帰責させないと気がすまない,といった意味で,社会全体の許容度が低くなっている気もする。気持ちも分からなくはないのだけれども,もう少し許容できないもんだろうか,と思ったりもする。

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