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説明責任の履行は悪魔の証明か

2009年03月25日

昨今,政治界隈で盛んに叫ばれている不思議ワード「説明責任」についてなんですけれど,これって履行された(果たされた)とする判断基準がどこにあるのか,微妙に疑問。少なくとも,「説明責任を果たしていない」と言う人の中には,(むやみに批判する人でもない限り)「履行された」とする基準があるはずで,その基準に満たないから「説明責任を果たしていない」と言っているはず。そうじゃなけりゃ,「果たしていない」なんて言えませんもんね。

問題は,その基準が明示されないこと。結局,どういう責任なんだろう。

頭でぐだぐだ考えても分からないので,説明責任がなんなのか,とりあえず Wikipedia を調べてみることにしました。ここで,「Wikipedia の編集」そのものにも「説明責任」の項があるようで,こっちの記述の方が面白かったので,まず引用します。

多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。

(snip)

ログインが望まれる理由は、自身の編集に対する説明責任を果たしてほしいからです。もし、あなたが利用者名を登録していなければ、利用者ページを持てません。投稿の際は利用者名の代わりにIPアドレスが記録されますが、それは一定のものではないので、他の人達にとってあなたの編集について、あなたと対話するのが難しくなり、それをもどかしく思う利用者がいることは事実です。もちろんログインしないでの編集は現在は認められていますし、そのこと自体に対して他の利用者が異議を唱えることはできません。

ログインしていない利用者(即ち説明責任に欠ける利用者)が、他の利用者らが多くの議論の積み重ねにより書き上げた記事に対し、それらを考慮しない大幅な変更を行った場合、問題になりがちです。ウィキペディアの記事は、民主主義的な議論を経て作り上げられるものであり、あなた(とあなたの質の高い編集歴)に他のウィキペディアンがよせる信頼によって、編集のプロセスは筆自慢による編集作業からチームワークによる編集作業になるのです。ですから、あなたが「雑草とり」と呼ばれるメンテナンス的な編集のみで参加しようと思っているなら別ですが、ある程度、記事の内容に関わる編集をしようと思うなら是非、アカウントを取得し、ログインして説明責任が果たせる立場になった上で編集することを推奨します。

Wikipedia:説明責任 - Wikipedia

ログインアカウントを取得・利用して編集することを推奨する理由として,「説明責任」が挙げられています。ただ,これは「責任の帰属」の問題であって,責任の内容の話ではない。つまり,説明責任を果たすための必要条件ではあるものの,アカウントを取ったら説明責任が自動的に果たされるわけじゃないので(果たす条件が一部整うだけ),十分条件ではない,と。

結局,内容については何のことやら分かりません。

もっとも,引用では説明責任の内容に関わる点として,「反論可能性」と「民主主義の原則」について触れています。この記述から得られる説明責任の内容はそれだけなので,これだけ頭の隅にに置いて,他のページを当たることにします。

つことで,Wikipedia にある「説明責任」の項を読んでみる。

説明責任(せつめいせきにん、アカウンタビリティー(Accountability) の日本語訳)とは、政府・企業・団体などの社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員(従業者)といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(ステークホルダー:stakeholder、利害関係者)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。

説明責任 - Wikipedia

由来は会計用語らしいんですけれど,今では,影響力の大きな組織が,権限行使にまつわるモノゴトについて,「報告する」義務のことを言うらしい。単に報告すればいいのか?報告を受けても,「説明責任を果たしていない」という人がいるけれど,これはどういうことだろう。この点で,定義ををもう少し解釈すると,おそらく報告というのは,権限行使にまつわるモノゴトについて,「合理的に理解できる程度の」報告がされること,と言っていいんだと思います。説明責任は,権限行使について,(筋が通っているという意味で)利害関係者の理解を得ることが目的のようですから,合理的にみて全く理解できない説明や,権限行使と関係ないことについて雑談されても,この目的を果たせません。

先の「反論可能性」や「民主主義の原則」の話と付き合わせてみても,「相手が反論できる程度に筋が通っている(合理的な)説明であること」といった要件は出てきそうです。そして,この要件を満たしているかの基準は,一般人を想定して,ある程度第三者が判断することができる。

一方で,説明責任を果たしたかを判断する基準として,マスコミ界隈では世論調査が使われることがあります。例えば,以下の説明とか。

産経新聞社が7、8の両日、FNN(フジニュースネットワーク)と合同で実施した世論調査は、公設第1秘書逮捕で揺れる民主党の小沢一郎代表に対して、約8割が「説明責任を果たしていない」という厳しい数字を突きつけた。

【産経・FNN合同世論調査】逆風で小沢氏凋落「説明責任果たさず」約8割 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

このエントリの話で,小沢云々の詳細はどうでもいいんですけど,こゆアンケートの取り方(質問の仕方)は本当にひどいと思う。産経に限った話じゃないけれど,こんなのただの印象アンケートにすぎないじゃんか。「責任」とのカラミで言うなら,どこまでいっても果たされることのない,悪魔の証明になってしまう。ただの印象論だったら,「説明責任」なんてかっこつけないで,単に「好感度調査」と言えばいいじゃんか。実際,マスコミを中心として政治界隈で使われている「説明責任」の話は,「好感度」の話と極めて近い。

説明責任にまつわる話をいくつか調べたんですけれど,結局のところこれは,議論の可能性を提供する責任と言っていいんじゃないかと思います。その説明に好感するにせよ嫌悪するにせよ,「合理的な議論」が行われている限りにおいて,民主主義の原則は尊重されるわけで,議論を継続する可能性が確保される。

一方で,合理的な説明は合理的な問いに対するものだから,説明責任は「説明する側」だけで完結するものではない,とも言えるはずです。つまり,「問う側の問い」とセットになって初めて果たすことができる責任ということ。少なくとも,何も問わないまま,単に「説明責任を果たしたか」を問うことは,明らかに的外れな話なのだと思う。

ということで,結局のところ,説明責任を履行したかを判断するということは,すなわち,

ある問いに対して合理的に説明されているか。されていないとしたら,どの点が合理的でないのか。

ということになるんだろうな。

マスコミはちゃんと「問い」を立てているだろうか。やってねいな。論点抽出能力弱いもん。

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