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政治界隈の説明責任は釈明責任と言った方がいいと思う

2009年03月27日

この前の続き。微妙に根に持ってます(参照:qune: 説明責任の履行は悪魔の証明か)。

説明責任で一般的に言われているところの理解は Wikipedia のそれだと思っていいと思うんですけれど,やはり政治界隈で使われている「説明責任」は,説明責任とは言えないのだと思う。

説明責任(せつめいせきにん、アカウンタビリティー(Accountability) の日本語訳)とは、政府・企業・団体などの社会に影響力を及ぼす組織で権限を行使する者が、株主や従業員(従業者)といった直接的関係をもつ者だけでなく、消費者、取引業者、銀行、地域住民など、間接的関わりをもつすべての人・組織(ステークホルダー:stakeholder、利害関係者)にその活動や権限行使の予定、内容、結果等の報告をする必要があるとする考えをいう。

※強調は aian。

説明責任 - Wikipedia

この意味に従うなら,次のような文句は語義矛盾になるはず。よく言われるところなんだけど。

主権者たる国民に対する説明責任を果たすべきだ。

仮にも日本が「国民主権」を標榜する国なのだとしたら,国民は間接的関わりをもつ利害関係者ではありません。というのも,国民主権を標榜する国において,国民は直接的関係をもつ者だから(同語反復気味だけど)。もし,Wikipedia の意味で使ってる人がいるとしたら,それはそれで笑えるんだけど。

ちなみにこれは,国民主権論にいわゆるプープル主権とかナシオン主権とかいった話とはあまり関係ない。主権の根拠がなんであれ,主権の代表者である国会議員が,自己の政治活動に影響する行為について国民に釈明する責任は,間接的で何か特別な責任なのではなく,古くからある直接的な(社会契約上の)政治責任のはずです。なんだよ。はじめから,そう言ってくれりゃ分かりやすいのに。そんなの昔から言われてるじゃんか。

つことで,政治界隈でスカしてる議員やマスコミが口にしている「説明責任」つのは,理知的な責任論ではなくて,きわめて感覚的な政治責任だといいっていいのだと思う。あまり使われないけど,「釈明責任」とでも言っておくか。感覚的な釈明責任の履行は,たしかに悪魔の証明だ。納得。

しかし,この釈明責任の内容なんだけれども,結局これも,問う側のセンスっつか政治的な成熟度に依存する責任なんだと思う。どっちにしても,ろくな問題提起もできないまま,「説明責任を果たしてると思いますか?」な質問をする人のセンスは,からっきしだなあ,と。人気投票で決まる政治は10年前から変わってない。「高速道路」や「新幹線」みたいな「見えるモノ」で政治が動いていた頃の方が,まだマシだったのかもしれません。

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