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政治的無関心,もうひとつの類型

2009年04月19日

政治学の古典的な話に,政治的無関心の類型論があります。類型論にはいくつかあるんですけれど,ラズウェルのそれが割と有名なんじゃないでしょうか。その他は Wikipedia を参照してください。

  • 無政治的無関心
  • 反政治的無関心
  • 脱政治的無関心

思うんですけれど,あたしも「政治そのもの」に対してあまり興味はないから,あたしが政治に対して取っている態度も,政治的無関心の範疇に入ってるんだと思います。ただ,個人的にはここにある態度とはちょっと違う感じがする。

あたしの政治へのかかわり方を振り返ってみると,政治的な現象をネタにしているところがあったりします。政治的な正論を,脱臼させることで快楽を得ているところがある。いや,脱臼させたと思い込むことに快楽を求めている,といったところか。半分では政治に興味があるんだけれども,残りの半分ではネタとして消費しているところがあります。

だから,個人的な政治ネタの重要性は,社会に対する影響とか,何らかの価値に対する態度とかいったことそのものにはあまりなくて(あるときもあるが),単純に「ネタとして消費できるか」というところにあったりする。その意味で言うと,テポドンが飛ぼうが飛ぶまいが,ネタとして面白くないからどうでもいい。言えることといったら,「飛んだね,やあ,飛んだ」くらい。

実際のところ,現在の政治状況を,特にあたしらの世代以下の人間が真正面から見ようとすると,直視できないほどの惨状だったりします。「ネタにでもしないとやってられん」というところがある。いつだったか,某所で某候補が「1970年以降に生まれた人は,年金を払っても暮らしていけない」とか演説していたけれども(裏を取ってないんだが),こゆのはほとんどネタとしか思えない。マンガみたいな不公平さ。数年前の米国テロといい,こゆの多すぎるぞ。ま,ネタで死ぬなら,それもまたよかろう,つかね。

要するにですね,政治的無関心の中には,ネタ的無関心というか解離的無関心というか,そういう類型もあるんでねいかな,ということ。あながち外れてないんじゃないだろうか。

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