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社会的逸脱と罪について

2009年05月12日

今日はヘロヘロなので少しだけ。というか,ヘロヘロなら早く寝ろってなもんなんですが。某エントリを読ませてもらって少し思ったので。

社会学方面の社会的逸脱と言われるものと,刑事法・刑事政策にいわゆる罪(特に自然犯)なるもんの本質を考えるとき,古典的な話としては「規範に違反している行為(結果)だから悪いんだよ」とか「不道徳な行為(結果)だから悪いんだよ」とかいった話があります。刑法の学説では,違法性の本質に関する学説に,規範違反説なんてのがあって,いまだに大きな影響力を持っています(規範違反説は行為無価値寄りの考え方だけど)。

けどですね。これ,違うと思うんですよ。

何が良いことで,何が悪いことなのかは,規範や道徳のような,人民なり国民なりの「外部」から与えられているところに本質があるわけではなくて,人民なり国民なりそれぞれの内部で内面化されている意識だと思うんです。というのも,ぶっちゃけ,刑法の形式的な条文や,「汝殺すなかれ」の文句なんかは,社会的に内面化されていないと簡単に骨抜きにされる脆いもんだから。これは,日本における犯罪認知の端緒の圧倒的大部分を,市民の通報や被害届,告訴・告発が占めていることからも裏付けられます(手元に数字がないけど,有名な数字なのでぐぐれば出てくるはず)。いわゆる司法官憲が犯罪を認知する件数は,非常に少ない。市民に規範が内面化されていないということは,犯罪そのものを「認識」することができないし,告発にも至らない,と考えられるわけです。

ま,これ,某書の受け売りなんですけどね。そのうち紹介します。

つことで,規範(法律,道徳)に違反するから悪いというのは,ほとんど目くらましなわけで,ほとんど適法・違法の担い手を,物言わぬ「法律条文」なり「碑文」なりに転嫁しているとしか思えないわけです。そして,この社会的に内面化された「意識」なるもんは,時としてマイノリティに対して,権力的に作用する。

また,これを社会学的な話に置き換えてみても,「道徳を逸脱しているから」あるいは「法律に違反しているから」社会的逸脱,とするのは,同語反復にも近い。悪いから悪いんだ,というのはね,どうも。ま,それだけの話なんですけど。

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