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自然科学と去勢の話

2009年05月31日

理系・文系の区別ではなく,自然科学を相対化できた理科系専攻の人は,いろいろな意味で強いなぁ,とごにょごにょ。というか,むしろ,自然科学を相対化しない以上,理科系専攻の人は適切に去勢されないのじゃないだろうか,と思ったりもする(参照:qune: 読書メモ - 去勢とあきらめ)。

ここで,話を理科系の専攻者に限ったのは,自然科学なる対象がそもそも相対化するのに難儀する対象だと思うから。んなもんで,文科系専攻でも,自然科学を主な研究対象にしているトコは,同様に当てはまるのだと思う。ここで,「相対化する」というのは,要するに,その分野でできることとできないことを踏まえるってコトなんですけれど,自然科学の万能感は去勢を妨げているように見えることがある。

あたしが専攻した法律学(刑事法)なんつのは,初めから万能じゃないことが前提で話が進んでたので,自然と去勢される(限界を思い知らされる)機会に恵まれていた気がします。一方,その手の人の話を聞いていると,こゆ機会をどこで得るのだろうか,まだ得ていないのではないだろうか,と思うことがある。

法律の話で自然科学を相対化している有名な問題をひとつ挙げてみます。次の話で,A に殺人未遂罪は成立するでしょうか。

A は甲を殺害する意図で,就寝中の甲に毒物を溶解した液体を注射した。しかし,もともと毒物は致死量に達していなかったため,甲は体調を崩しただけで命に別状はなかった。

いわゆる未遂犯と不能犯の区別の話です。未遂犯というのは,犯罪の実行に着手したものの,構成要件的結果(殺人罪の場合は人の死亡)は発生しなかったが,その「危険」を惹起した(引き起こした)ことに対して成立する罪です。一方,不能犯というのは,構成要件的結果発生の危険がない行為で,適法な行為のこと。

上の例の場合,甲が死ぬ「危険」があると判断されたら殺人未遂罪成立,「危険」がなかったら不能犯として殺人未遂罪不成立になります(ただし,甲は体調を崩しているので,傷害罪は成立しうる)。つことで,「危険」の内容をどのように解釈するかで,評価が大きく変わります。

具体的な議論の内容は Wikipedia を参照してもらうとして(参照:不能犯 - Wikipedia)。危険の内容について,「事後(裁判時)客観的かつ科学的に検証して危険性の程度を判断する」という立場があります。科学的とかいうと,なんとなく公平な感じがするし,適切な結果が出そうな感じがしますよね。

しかし,この考え方,客観的かつ科学的に考えれば考えるほど,未遂犯は成立しづらくなります。なぜなら,現に結果(人の死亡)が発生していないから。事後的かつ客観的に見て起きなかったことは,「科学的にみて必然的に起こり得ないことと」説明されるのだから,結果発生の危険は絶対にない。つまり,この考え方を採る以上,未遂罪なるものは「規定はあるけど絶対に成立しない罪」ということになる(すべて不能犯になる)。念のために書いておくと,事後判断であることから,確率論を導入しても結論に変わりはありません。

つことで,科学的な人にとっては,未遂罪の存在を認めないのが正解になる(やや飛躍してるが)。しかし,未遂を認めないという判断が社会的に見てバランス感覚のある評価かというと,あたしゃ疑問です。少なくとも,刑法の目的論的解釈の観点から見て,どの目的に対しても合致していないと思う。

で,こゆ問題に直面して,自然科学を破棄するのではなく,あくまでも科学者の視点から当該問題を止揚することができた場合において,はじめてその科学者は自然科学を相対化できたと言えるんじゃないかと思ったりします。

また,付け足しになるけれども,その手の話で去勢しきれてないと思う場合として,自然科学の客観性-論理性に「人の感情」を対置させるような対立構造を持ち込む場合がある。こゆ対立構造を導入することそれ自体が,デカルト的な二元論を裏側から補強していることに気づいていないのだろうか,と。「人の感情も大切だと思う」とかいった良い子ちゃんぶったその言説そのものが,「科学的であること」のパラダイムに乗っかった議論なんですよ,と。

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