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足利事件雑感

2009年06月16日

足利事件で当時の DNA 鑑定の精度云々が盛んに取りざたされているのだけれども,800人にひとりということは,誤差 0.125% の精度はあるわけで,重要な証拠には変わりなかったんでねいだろうか,とつらつら。少なくとも,そこらの証人の記憶に基づく証言よりはよっぽど証明力のある証拠のはず。

で,詳しいことは調べてないのだけれど,その800人にひとりという数字が,ランダムに選んだ母集団を対象にした数字なのだとすると(そうなんだろうが),限定された地理的要因等々を総合的に勘案した場合,DNA 鑑定の証明力はなおのこと高くなる。

で,今回,現在の鑑定方法で再鑑定したところ,被疑者(被告人,受刑者)となった人物の DNA と,検体の DNA が異なることになったわけだけれども,これで別人と断定できるのだとすると,当然疑問になるのが「じゃあのとき一致した DNA は誰のモノだったのか」ということになる。

つまり,「当時の鑑定精度が悪かったから間違えた」というのは,当時の精度を前提にしてもかなり言いづらくて,むしろ,「800人にひとりの確率でしか得ることのできない稀な証拠をどのように採取できたのか」というところが問題になるのが本筋なんじゃないだろうか,ということです。ま,ぶっちゃけて言えば,でっちあげたんじゃね?ということ。他でも言われていることだけれども。

教科書的な話をすると,科学的証拠は,その証明力が問題になるのは当然なんだけれども,それが証拠になるまでの過程の方がよっぽど問題だったりします。その検体は,どうやって採られたのか,どうやって管理されたのか,どうやって試験・鑑定されたのか。

なんつか,テレビを見ていると,800人にひとりってな話が強調されているもんで,でっちあげた疑いに触れているもんが少ないのはなんでなんだろう,と思うわけです。拷問まがいの取調べについては取り扱ってるから,違法捜査そのものの報道に対する指導というかお願いというか,そゆもんはないと思うんだけれど。どうしたもんだろ。

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