Entry

軽薄なヒューマニズムはその善意と裏腹という話

2009年06月19日

昨日(2009年6月18日)の朝日朝刊「声」の欄より。

バン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行さんの帰国後の記者会見で、女性の声で「もし目が見えるとしたら何が見たいですか」という質問がありました。努力して頑張ってその可能性があることの「もし」ならば分かりますが、質問者の落ち着いた美しい声とは裏腹に心ない質問だと思いました。

テレビでも、演奏の紹介が少なく、目の不自由なことばかりが強調されていました。

その記者会見での質問に対し、辻井さんは「両親の顔が見たい。海とか花火とかも見てみたい。でも今は心の目で見ているので十分満足しています」と笑顔で答えていました。楽しそうに嬉しそうに、しかも全身全霊をを込めて弾くピアノだけでなく、その心の美しさに感動しました。

「心ない質問にも輝いた『心の目』」(朝日新聞「声」,2009年6月18日朝刊)※投書者の氏名はふせておきます。

これ読んで,どう思ったでしょうか。あたしゃ,うぇっと思った。

この本文,いかにもいかにもなキレイゴトなんだけれども,こういった言説そのものが盲の方と一般社会(と言われるもの)をきれいに分断していることに気付いていないのだろうか。差別や偏見は,貶める言葉よりもむしろ,キレイゴトで醸成される。

特に,上記引用中,「『楽しそうに嬉しそうに』見る私」や「『心の美しさ』を見る私」の表現は,明らかに一般社会と対比して,盲の方の「無垢性」をむりくり強調していてひどい。記者会見は見たけれど,あたしにゃそんな風には見えなかったぞ。仮にそう見えたのだとしたら,その原因は十中八九,見た人間の偏見が根本にあるからなのだろうし,それを美辞で表現するのは「偏見した私」における利己的な贖罪だろう。こういうのには,本当にうぇっと思う。

全盲でないあたしのような人間にしてみたら,演奏する際,全盲の方がどのようにイメージを展開するのか,ほとんど想像できないし,実際どのような感覚なのか彼から聞いてみたかったりします。そして,その態度こそ,人が他者に近付こうとするもっとも基本的で原始的な所作なのだと思うし,同じ土俵で自分と異なる他者とコミュニケートしようとする意思なのだと思う。引用のような言説をしたり顔で口にする人は,せっかく世の中に認められた彼を,独断的に再び無垢の世界に閉じ込めることの残酷さを認識する必要があるんじゃないだろうか。

ま,質問がありきたりでくだらないというのはあったのだろうけれども。

こういう構造は過去にもあって,例えば小人プロレスや身障者プロレスのような興行をテレビ放送でカットしてきた実例があります。今じゃもう,興行自体やってないんじゃないだろうか。「人権」を理由にして,彼らを無垢の世界に隔離してしまった。たしかにあたしも,趣味のいい見世物とは思わなかったけれども,そのことと彼らを区別(差別)して隔離することは,まったく次元の異なる所作なのだと思います。

なんというか,そんなキレイゴトばかり言っていて,一体誰が生き残るの?と,小一時間(略)。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN