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「科学技術は役に立つ」は科学的な命題ではないという話

2009年07月08日

また安易な文系が科学技術をダメにしている論があるわけだけれども……。マスコミだけのせいではあるまいに,とかつらつら。

また、科学技術に対する高校生の認識の偏りに何の問題も感じないとすれば、この記者の見識には強い疑問を感じます。問題にすべきは科学技術の使い方であり、科学技術そのものではない筈です。

高校生の認識に影響を与えているのはおそらくマスコミ自身の認識だと思います。マスコミは文系出身者で占められ、科学に対する理解が十分とはとても思えません。批判力のない高校生の認識はマスコミの認識を素直に反映したものと考えられるのではないでしょうか。

アゴラ : 科学技術は役立たず、環境を壊すという教育 - 岡田克敏

科学の使い方について,科学(者)は専門的な知見からそれを評価する手段を持たない。科学的な所産が,結果として,人間の営みの役に立ち,また一方で原爆症を生んだとしても,それらを評価する言葉を持っていないし,評価する責任もない(悪いのはそれを使う(文系の)人間だ)としていたのが科学(者)的立場だったんじゃないだろうか。仮に,現実の科学者が「原爆作ってごめんなさい」的なことを言ったとしても,それは科学的言説ではありえないし,文系的に見ても,そこら辺のおっさん以上のことを言うこともできないだろう。

要するに,少なくともごく最近まで,科学技術には「作ったら作りっぱなし」の構造があったわけで,科学技術に対する不信感っつのは,結果として役に立つか災難になるかはさておき,作り手の責任の所在が曖昧なところに向けられているんじゃないだろうか。功績については,自分から名乗り出るわけだけれど。

科学技術には,社会的に自らを評価するメタ的な視点と言葉が必要なわけで,問題の根は,引用本文の指摘よりももっと深いところにあるんじゃないかと思ったりもする。

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