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給仕の魔力について

2009年07月18日

先日ラーメン屋に入ったところ,親子の二人組みが入店してきました。お母さんと4歳くらいの男の子。このラーメン屋のこの時間帯は,普段,サラリーマンばっかが客になるもんで,珍しいお客さんです。

で,お母さんの方が,ラーメンを一杯頼みつつ,取り皿(小さなどんぶり)を頼んでいました。取り皿は,もちろんその男の子の器。取り皿に男の子の分を取り分けて,食べさせるためのものです。こゆ光景は久しく見ていなかったので,かなり新鮮に映ってしまいました。

自分の頃を思い出すと,親が取り分けてくれた器は,なんというか特別な器だった印象があります。取り皿の中に,大人用のそれと同じ配分で,麺とスープ,それにトッピングをミニチュアに再現していました。ナルトだけ一人前のものを丸々もらえた時なんかは,かなり興奮した覚えがある(←安上がりな子供)。で,これは多分,自分用の器でご飯を食べられるといった「一人前感覚」と,でも親が給仕してくれたものといった「半人前感覚」の間で得られた感覚だったんじゃないかと思うんですね。こゆ「おいしいとこだけ一人前」な感覚は,割と心地がいい。

そういえば,あたしには弟がいるんですけれど,彼は,割と大きくなるまで親に給仕を求めていた覚えがあります。もともと小食だったってのもあるんですけれど,小学校に入って,家では一人前に食べられるようになっても,外ではサーブを求めていた。これは,分量がどうとかではなくて,「自分が食べるものが安全か」とか「親が食べているから自分のも安心だろう」とかいった,心理的な動機によるもんなんじゃないかと思うんですね(ここら辺が半人前なんだが)。子供が楽しめそうで,ちょうどいい分量のお子様ランチよりも,親が取り分けた半人前の器の方が「安心して食べられるもの」だったわけで,事実,彼はお子様ランチには目もくれなかったのでした。

一方で,こゆのは,視点を変えると子供の頃に限った話ではなくて,大人の間でもしばしば見られる光景だったりします。食べ物屋で,家族や友人,恋人なんかに,自分の分を取り分けて食べてもらうとか,その反対とか。こゆのは,単純に自分の皿が美味しいから食べてもらいたい(または,相手の皿もつまみたい)ってのもあるんだろうけれども,もう少し別の意味合いがあるんじゃないかと思ったりもします。取り分けてもらうこと自体に特別な意味合いがあるというか,そんな感じ。

さらに,これをもっと硬派な方面に敷衍すると,「兄弟酒」の類になるんだろうか。いきなり醤油臭い話になっちゃうんですが。ただ,給仕する/されることの特別な意味合いは,割とどこでも共通している感じがします。近しい他人がサーブしてくれるものは大抵美味しいというのは,文化的というよりは生理的なもんなんじゃないかと思ったりします。

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