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連休に観てきた映画 - 『MW』

2009年07月22日

劇ヱヴァにはわき目も振らず,『MW』を観てきました。いや,単にタイミングの問題だったんですけど。

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あたしゃ原作を読んでいないので,この作品はこの作品として観ることができたんですけれど,エンタメとしてみる限り割と面白かったです。こういった原作を持っている作品は,上映する前から重い十字架を背負わされているようで,少しかわいそうだったりします。レビューも結局「原作と比べて論」か「玉木くん/山田くんかっこいい論」しか出てこない。

本作が原作を持たないオリジナルだとしたら,もう少しそれなりの評価があったのかもしれないんだけれども。

一方で,本作は,少し話をはしょりすぎている感じはしました。原作を読んでいないのに,はしょっている感じがしたのは,単純にシナリオを詰めきれていなかったからなんじゃないかと思うんだけれども,どうなんだろう。

具体的に言うと,本作では,とにかく人がたくさん死ぬんですけれど,こういった狂気のシーンほど丁寧に描かないと,ただのバカな殺人鬼を描いただけになってしまうということです。

ここで,「丁寧に描く」というのは,残虐なシーンをより残虐に描くということではありません。

傍から見ると狂気の沙汰としか思えない殺人でも,結城(玉木宏)の中,あるいは賀来(山田孝之)の中では,ひとつのスジが通っている。こうした,他人とまったく共有できない内的な理屈にもとづいた行動に,傍から見た人間は戦慄を覚えるわけで,みんなが同情するような(言語化できる)動機なんつのは,「警察発表」を地でドキュメント化しただけの話(外向きの人情話)になってしまうと思うんですね。

この点で,本作は少し説明なり示唆なりをはしょり過ぎている気がした。

やや過剰にかかっている(動画の)エフェクトにしても,傍から見た狂気の狂気っぷりを補強するだけで,人物の内的な事情(スジが通っている部分)を示唆することを意図していなかったんじゃないかと思います。少なくとも,あたしにはそう見えた。

おそらく,原作を含めた『MW』の面白さつのは,こうした本来共有されえない内的なスジ(傍から見た狂気)が,結城と賀来の間では共有されてしまっているところにあるんじゃないかと思います。単純に同じ過去を共有している親友というだけでなく,片方は悪魔として,もう片方は神として,同じ狂気を共有している。そうした,紙一重の部分を楽しむんじゃないか,と。

ま,好き勝手なことを書いたんですけれど,エンタメとしては十分楽しめる作品でした。本当は原作を読んでからエントリを書くつもりだったんだけれども,書店で探しても見つからないから先に書いてしまった。後で読みます。

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