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「個人的なこと」を共有しようとすることに対する違和感について

2009年08月12日

ま,以前も書いたことで,結局ここに集約されると思うんですけれど,例えば,小泉元首相が「感動した!」とか言うことに対する違和感というかなんというか。感動ってもっと個人的なものなんでねいの?と思うんだけれども,どうなんだろう。

「個人的」というのは,人様に感情的なアレコレを発するべきではない,とかいったことではありません。そうではなくて,そもそも,原理的に自分と同じように他人が理解できるような(言語化できるような)ものではないという意味で「個人的」ということです。

例えば,ネットには,なんとかとかいった共有サイトがあるわけだけれども,ここでなんでもかんでも共有したがる人ってのは,(決して悪口ではなく)どこまで共有されることを目論んでいるのだろう,とか思うわけです。なんつか,「カンドー」とかいった記号だけが浮遊している感じがするし,個人的な感動をもよおす事態を求めているというよりは,むしろ,その記号を共有する(同時に発する)ことで得られる連帯感を求めているようにも見えてしまう。

また,個人的なことは,おそらく他人の侵襲を許さないものなのだろうけれども(私だけの心の動きという意味で),そういうわけじゃないのだろうか。

よく覚えてないんだけれども,吉田戦車だったかのマンガで,「足の小指(薬指だったかもしれない)がかわいくないからいじめてやるんだ」みたいなことを言っているキャラに対して,「そうだよな」と同意した他人が同様に小指をいじめようとする作品があった気がします。オチでそのキャラは,「やめろよ」とその他人に不快を示すんだけれども,「個人的なこと」というのはそういうことのようにも思えます。「私の問題」というか「私だけの感情」というか。

そういう意味で言うと,例えば,STAR WARS の公開日なんかで騒ぐファンの心理つのは,本当に分からない。独占したいとは思わないのだろうか。反対に,何を共有したいのだろうか。また,少し離れるけれども,あたしの業界のセミナーや勉強会なんつのも,なんでやってるのかよく分からない。この業界の技術なんてのは,突き詰めると大部分が個人的なノウハウの塊だと思うし,非フォーマルな過程で習得するもんだと思っているからです(もちろんそれだけではないが)。何をミンナでオベンキョウする必要があるんだろう,と。

というわけで,あたしゃ劇ヱヴァは DVD で一人で観たいと思うのでした。ま,ただそれだけなんだけど。

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