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コミュニケーションのためのオタク言説にはうげっと思う

2009年09月10日

オタクが結局なんなのかについては,どうでもいいんだけれども,コミュニケーションに使われる,外向けの「オタク」なんて言葉はロクでもないと思ったりします。こゆ趣味って,もともとものすごく個人的なもんなんじゃねーの?とか思っているもんで。

コミュニケーションに使われるオタクなんつのは,オタクなるもんが何であるかといったアレコレについて,暗黙の共通認識があるわけで,それがあってはじめて有効に成立したりする。例えば,岡田氏がオタキングなんて呼ばれてたのなんかは典型で,オタクなるものに共通する外向けの範型(コミュニケーションする手段)を与えてしまった。そんなもんなくたって,オタク的な趣味は実現できるのに。

有名人を取り上げなくたっていい。例えば,オタクの間で交わされる会話では,「オタク度」みたいなわけのわからない尺度で上下関係を作ろうとするところがあるけれど,あまりにマッチョで受け付けない。オタク度なるもんが低くたって,オタク的な趣味は実現できるだろうし,そもそも個人的な趣味を共通の尺度に乗っけようとすること自体,野暮ってもんだろう。どうしてそういう話になっちゃうかなぁ……。秋葉で踊ってるのは,オタク度マックスなんだろうか,気になるところ。

なんつか,いくら外向けに「オタク,オタク」と叫んだって,結局そゆのは権威化の方向に向かってしまうわけで,やっぱりみんな寂しいのね,とか思ってしまう。まとめてくれる権威的な人物なり尺度なりが欲しいのね,みたいな。で,他と変わらず権威的な人物になりたい人もたくさんいるのね,みたいな。どこかで誰かが,オタクは前世代へのアンチだ,みたいなことを言っていた覚えがあるけれども,結局やってることはおんなじ。アンチでもなんでもない。

マッチョなアレコレに敗れて降りてみたら,そこもまたマッチョ。大変そうだな,と他人事に思う。

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