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もともと政党政治と民主主義は微妙な関係にあるわけで……

2009年09月19日

こちらの話から。finalvent さんの一連のエントリは読ませてもらっていて,懸念していることは分かっているつもりです。はてブコメントも見せてもらったんですけれど,政局的な話が多いので,少し理論的な角度から(といってもろくなことは書けないんだけれども)。

これ、「一般行政に関する与党の法案提出は基本的に認めない」というのは、限定は付くけど、日本の民主制度とか関係ない党規則で立法権を事実上拘束してしまうことだよね。

democracyというのは権力を分散させる制度なのだが - finalventの日記

政党政治が発達するほど,集団としての政党の意思が議員個々人の政治活動の自由を制限することになるわけで,党内規則も含めた制度として,両者のバランスをどこに置くのか,というところがポイントなんだと思います。特に,政党規則の拘束力については,部分社会論として古くから議論されているところでもあって,これを広く認めすぎると,民主主義のみならず法の支配そのものを危殆化することは,指摘されているところでもある。

もっとも,今回の事案は,直接的には議員の政治活動の自由の問題で,国会の意思決定そのものを直接制限する話ではない。そうしてみると,立法権と行政権の分権の問題と直接つなげるのには,少し無理があるんじゃないかと思います(もちろん,事実上の問題なるものを,制度の評価においてどの程度斟酌するかにもよるのだろうけど)。制度の実質を評価するには,議員の政治活動の自由がどれだけ制限されるかについて,党則の拘束力がどの程度あるのかを判断する必要があるわけで,結局のところ,具体的に党則を破って法案を提出した議員(法律上はできるから)に対して,執行部がどのような処分なり行動をとるかを注目する必要があるのだと思います。その意味で,本当に危険があるかは文面審査として判断することはできない。あたしとしては静観です。

もちろん,党則そのものを見ると,法律で制定されたら分権上の大問題なので,日本の民主政治において,ある種の分岐点に立っていることは間違いない。民主党は党内運営そのものを高度に民主化する必要があるだろうし,対外的にも意思決定過程をできる限り透明化することが求められるのだろう。

(特に憲法論において)日本の民主主義に関する議論は,政党の制度的な実在に対して距離を置いていたところがあったわけで(助成金云々には熱心だったが),それはヘゲモニー的な政党が統治していたために,政党を多党政あるいは二大政党制の文脈におけるそれのように,相対化しづらかった事情があったからなのだとも思う。しかし,もし政権交代が今後も常態化するのであれば,憲法的/立憲政治的な側面からも,政党制をまともに取り扱う必要があるんじゃないだろうか。部分社会論の大鉈でバッサリみたいなのは,そろそろ卒業したいところ。

一方で,旧来の自民党的な意思決定は,たしかに権力を分散する効果があったのだと思います。しかし,これについても,党内民主主義こそ,ある種特別な形で確立してはいたものの,対国民の関係では,責任の所在を曖昧にする結果を招いただけだったんじゃないだろうか。言い過ぎかもしれないけれど,首相のリーダーシップにしても,旧憲法における「同輩中の首席」と変わりがなかったようにも見える。麻生元首相が,「自分で解散する」と連呼するとき,リーダーシップの所在にまつわる実質(実質的な権力が麻生氏自身に希薄なこと)を否定するための発言と解釈していたのは,あたしだけじゃないと思う。責任の所在を明確にすることと,政治権力を集中させることは,コインの裏表の関係にある,と。

ということで,今回の話は,新しい試みであることに違いはない。見所だけ提示しておくことにして,しばらく静観しています。

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