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結局「競争に勝てないから」という理由からしてもうアレなんだよな

2009年09月22日

別に負けてもいいんじゃねーの?とか。というか,負けるのは個人ではなくて,個人を動かしている人(国家/企業/人類/地球/環境/男/女)だったりもする,多くの場合。なんだかよく分からない大きなものの負けが,個人の負けとどれだけ接点を持つかは,やってみなくちゃ分からないところがあるんじゃないだろうか。

一方で,なんだかよく分からない大きなものの負けと個人の負けの「実際の接点」はよくわからないけれども,なんだかよく分からない大きなものの勝ち負けを,個人の勝ち負けにすりかえる手法つのは,古今東西,今も昔もよくある話なわけで,それはそれでなんだかなぁとも思う。実際,現実の意思決定において,なんだかよく分からないものの勝ち負けを基準にして,妥当性やら善悪やらを判断している分野はあるわけで,そゆのは,なんだかそれっぽい統計とか統計とか統計とか,「科学的な検証」とか「大学初年度の講義でも教えてくれること」とかいったものを使って判断しているようなんだけれども,結局,なんだかよく分からないものの説明に,なんだかよく分からないことでもって説明しているわけで,最後は罵倒じみた感情論が支配している。

科学的な検証の結果,具体的にどういうことが起こるんだい?と,法学をやってた人間からすると思う。実証性のない科学は,学校の中だけでやっててもらいたい(法学は科学じゃないが)。そして実験も,人の迷惑のかからないところでやってもらいたい。

そういえば,全体の勝ち負けのために,個人の資源に介入するのはイケナイと,某思想や某考え方では主張されているようだけども,結局のところ,競争が議論の出発点にあることから,全体の勝ち負けを問題にせざるを得なくなっていたりもする。都合のいいところだけ,個人資源への介入を否定しておきながら,別のところでは,競争に勝つことを理由に個人への介入をやすやすとスルーしてしまう。このダブスタっぷりが気に食わない。

そう,問題なのは,競争での勝ち負けを問題にすることそのものではなくて,このダブスタっぷりなんだろう。某思想や某考え方に基づいたとされる話を読んでいると,同じ理屈なり価値観に基づいて,それとまったく反対の結論を書くことができるのに気がつきます。こんな体たらくだから,議論も(感情論が入らない限り)終わることがない。一生やってろとも思うし,やってる連中は食い扶持に困らなくてうらやましいなーとも思う。

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