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周辺への不満とその応答について

2009年10月03日

先日も少し取り上げさせてもらったんですけれど,「周りが阿呆なせいで業界なり世界なりがつまらなくなった」とかいった挑発的な話を書くと,決まってこゆこと言う人が出てくるんですよね。

だったらお前がやればいいだろう。周りに頼るな。傍観者にならず自分でやれ。そして不満に思っている状況を自分で打破しろ。

ただ,これって応答としてどこまで有効なんだろう,とは思うんですよ。

エンジニアリングの話でもいいし,批評の話でもいいんですけれど,こうした活動ってのは,ひとりきりでするもんではなくて,環境に依存するところがあったりします。どゆことかというと,これらの活動は周囲との対話でもって成り立つところがあるわけで,ひとり言をつぶやくだけで成り立つもんじゃない,ということです。ここで,周りの水準が低い場合,まず対話が成立しません。周囲に自分が言っていることを理解できるだけの感受性もなければ,それに応答するだけの発話もない,といった状況です。

もちろん,こうした状況を認めた人ってのは,他人から「うぬぼれ」や「自意識過剰」みたいなもんとみなされがちです。実際上も,多くの場合,うぬぼれや自意識過剰の類なんだと思う。

しかし,問題の核心は,周りの水準と当人の水準のどちらが高いか,とかいった問題じゃないと思うんですね。問題は,対話が成立していないということ。つまり,不満を漏らしている当人が,その世界から離れそうになっているところにあるのだと思う。当人にとっては,対話が成立しない以上,周りのレベル云々以前の問題として,その世界に興味を失いかけている。結果として,周囲の水準を問題にする人もいるんだろうけれども,それは多くの場合,主観的なものの副次的な話なんだと思っていたりします。

ともあれ,そうした人間に対して,「おまえが自分で切り開け」と命じることにどれだけの意味があるんでしょう。当人は,もうほとんどその世界に対して興味がなくなっているというのに。去ろうとしている人に対して,「ここで頑張れ!」と命じるのは,対話への呼びかけでもなければ,状況を踏まえた命令でもないんじゃないだろうか。間抜けに見える。

こゆ人に対する対応は,何か言いたくなるのをこらえつつ黙ってニヤニヤ見守るか,反対に注意深くその人の話に耳を傾けて応答することなんじゃないかと思います。中途半端な応答はやめた方がいい。去ろうとしている当人からすると,中途半端な応答めいたものや命令めいたものを発する人こそ,「傍観者」に違いないからです。

どうでもいいですけど,これ,自殺しようとしている人への説得の仕方に似ています。程度の差はあれ,世界に絶望している人が見ているモノを直視できない人は,不用意に発言すべきじゃない。それが臨床的なお作法だったりもするんじゃないだろうか,とゴニョゴニョ。

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