Entry

間々田優氏の何も歌わない歌について

2009年10月06日

歌手の間々田優さんのことを知ったのは数ヶ月前で,面白い歌い手さんが出てきたと思っています。先週から FM YOKOHAMA で番組を持つことになったので聴いていたんですけれど,そこで自称していた通り「超個性派シンガー」なんだと思います。

嘘と夢と何か
嘘と夢と何か
posted with amazlet at 09.10.06
間々田優
パパダレコーズ (2008-11-12)
売り上げランキング: 5176
おすすめ度の平均: 2.5
3 あなたはあなたを偽っていないか?
4 人にこびないロック
1 普通でなければ、良い宣伝文句はどうにでもなる。
4 聴く覚悟はあるか
1 試聴でしか聞いたことないけど…。

おそらく,本人が自称する通り,マーケティング的にも「超個性派」がウリなんだろうし,本人も,そうした消費のされ方について半ば諦観しているところがあるんだと思います(憶測ですが)。それは,新譜の文句からも伺える(重ね重ね憶測ですが)。

歌えぬ君は意味など無い 甘く優しい言葉で言えば
「ゆっくりおやすみなさい」

僕ら歌を歌う人達は のどが命の職業
声が出なくちゃ まさに お話にもなりません
使いものにならなくなったら 優しいお友達や
事務所契約さえも 影響はまぬがれません

だって僕から音楽を取ったら なんにも残んない
ガナって 叫んで あけすけな 言葉を代弁してあげなけりゃ

「アイドル」(間々田優,2009年)

ただ,上の歌詞にしてもそうなんですけれど,なんというか,彼女の歌にはいつも「歌を歌うこと」に対する批判が,そもそも付きまとっているように見えます。マーケットで消費される歌は,どうしても最大多数の幸福を求めて抽象化されてしまう。デリダ的に言えば,そうした「一般」によって,私が歌いたいこと,私が思っていることが,「汚染される」といったところか。しかし,だからといって,歌手が歌わないわけにはいかない。そうした葛藤が見え隠れするわけです。

楽しい歌は嘘臭い 悲しい歌はバカらしい
わかったフリしてる歌詞は最悪
ボタン一つで消されてしまう僕の声だけど
「手のひらが冷たくて痛いからつないでもいい?」

(snip)

言葉の効果や 損得を考えてしまうのは
僕があまりにも弱いから
それでも君がいるのなら 全てさらけ出そう
光があるように

「ボーダー」(間々田優,2008年)

私が歌いたいこと,私が思っていることをどのように,一般化の汚染から守るのか。歌詞から推測するしかないんですけれど,あたしは具体的な「君」でもって,「私」の特異性を担保しているんじゃないかと思っています。歌詞に出てくる「君」は,「『君』一般」でも「消費の現場で遭遇した聴き手(買い手)」でもなく,間々田さんが具体的に想定している,まさしく代替不能な「君」なのだろう。さらに無粋にも深読みするなら,ここにいる「君」は「私」といってもいいのかもしれない。少なくとも,マーケットに参加している大半のためには歌っていない。その意味で,彼女はあたしに対して(またはあたしについて)何も歌っていない。それでいいんじゃないかと思っています。

間々田氏が導き出した答えはともかくとして,マーケットに流れる歌が,歌謡曲とかポップスとかいった「『一般』のパーツの寄せ集め」に回収されることを彼女が自覚している点に,あたしゃとても好意を覚えます。私は私以上のことを歌えないし,あなたのことまで背負うことはできないよ,といった態度は,ある意味でリアリティがあるのだと思うし,少なくとも誠実な態度なんだと思います。

なんだか歌詞についてぐだぐだと妄想しつつ書いてしまったけれども,歌もうまいし,アレンジもきれいだと思います。キョーカンやカンドーのような幻想を信じているオコチャマにはお勧めしません。あと,破滅的な世界観にロマンを抱いているオコチャマにも,別の意味でお勧めしない。葛藤に耳を傾けられる方にはおすすめ。そうした点も含めてマーケティングの一環なのだとしたら,大したタマだと思うけれども,そこら辺はいくら突き詰めてもメタメタな話になってしまうので,割り切ることも大事かと。ここが,歌い手と聴き手の間に横たわる大きな断絶なわけだけれども。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN