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マッチョなよしもとばなな氏,変な平等主義者のCさん。

2009年12月23日

こちらから。

「そういう人なんですよ。よしもとばなな。前にエトロのパーティで、全身エトロを着て・・・ええ、もちろん、全く似合っていないんですけど、ピーコのファッションチェックを満面の笑みで受けてたことがありますよ」

と言うのである。なるほど、作家に必要なのは客観的に自分を観る力ではなく、自分に酔える力だ。妄想力だ。よしもとばななの自己肯定感は、父にそっくりな容姿を得た故なのか、それとも得たにも関わらず、なのか。なんだか奥深い、いやー、どんな人だよしもとばなな・・・・と私とBさんは楽しく盛り上がったのだった。が。その場にいたもう一人の女友だち(仮にCさんとしましょう)は、笑っていなかった。Cさんは、飲んでいたシャンパンのグラスを握りながら、キッと私たち2人を睨みこう言い放ったのである。

「デブでブスは、エトロのパーティに行くべきではない、ファッションチェックを受けるべきでない、家にいて大人しくしているべきだってこと?」

北原みのり|よしもとばなな

なんで,某氏は「デブでブスは家にいて大人しくしているべきだ」と言わなかったんだろう。もちろん,この「デブでブス」は引用本文にいわゆる「他者認定」ではなく「自認」の水準での話なんだけれども。

美しく着飾って公の前に出ることが前提のパーティだったら,自分がそれにふさわしいか自認の水準で考えるべきだと思うし,仮に自分はふさわしくないと思っていても,参加する以上はふさわしいと思っているように見せるのが作法なんじゃないだろうか。特にこゆパーティは誰でも参加できるものではないわけで,だからこそ「デブ」とか「ブス」とか「ふさわしい」とか「ふさわしくない」とかいった話が中心になるんだと思います。あゆとこは,本質的に差別的な場なわけで,その差別的な価値観がブランドをブランドたらしめていると言ってもいいくらい。誰でも参加できるブランドメーカーのパーティなんつのに意味はないわけで,変な平等主義を持ち出すもんじゃないと思う。

一方で,悲劇的なのは,自認なく,根拠なく,すなわち天然で自分はこのパーティにふさわしいと思っているケースだろう。いや,よしもとばなな氏はパーティにふさわしいのだと思うんですよ。主催者の意向は知らないけれど,容姿が理由ではなく,著名な作家という理由で呼ばれているのだと思うから。しかし,その理由を履き違えて,ファッションチェックを受けてしまう(容姿の点でもふさわしいと思っている)っつのは,やはり奇異に見える。

この点,(ジェンダーにおける)男は,こうした根拠のない自信に支えられているところがあるわけで,大したこともしてないのに,妙に偉そうな人とかたくさんいたりします。エライからパーティに出てるのか,パーティに出てるからエライのか分からないような人たち。おそらく,くだんのよしもとばなな氏の構図も,ここに当てはめられるんじゃないだろうか。

ま,こゆこと書くと「単にお前羨ましいだけなんだろ」とかいった,よく分からない指摘を受けるんですけれど,こゆ「羨ましい」とかいった評価を伴った指摘自体に,根拠のない自己肯定の前提があるわけで,マッチョな構図そのものだったりします。

いや,羨ましくないし,そもそも興味ないし。といっても,聞いてくれないんだよな。

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