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日本のコンピュータ書籍について傾向とか

2010年02月04日

ほぼ毎日書店に通って,コンピュータ書籍の棚を眺めているもんで,なんだかこの頃,「コンピュータ好き」というよりは「コンピュータ書籍好き」になりつつあるような気もするんですけど,思うところとかいろいろ。

このサイトでも,しばしば不満を漏らしているんですけれど,はっきり言ってしまうと,日本のコンピュータ関連書籍(邦訳書を除く)はつまらない。このつまらなさ,もう少し具体的にいうと,企画力のなさとテクニカルライティングに関する文章力のなさなんだけれども,これはどこから来るのだろう,と常々思っているのでした。

これ,少し蓄えが増えて洋書を読むようになってから,特によく思うようになりました。洋書のコンピュータ書籍は,平均して面白い。あたしゃ常々,邦訳書と洋書の原書があるなら邦訳書の方が効率がいいし安いからおすすめ,と言っているし,洋書だってだけで手放しで著書を祭り上げる面々には「ウェッ」とも思う方だったりします。しかし,それを差っ引いても洋書の方が面白い。

原因を考えてみたところ,いくつか考えられたので,エントリを分けて書こうと思うんですけれど,ひとつ挙げておくと,「書籍を通じて著書が探究する姿勢を示しきれていない」ということはあると思っています。「批判される可能性のある主題をまったく扱っていない」と言ってもいい。

邦書のコンピュータ書籍について,Amazon のレビューを見ると分かるけれども,ほとんどが「わかりやすい」「わかりにくい」形式の批評にとどまっています。分かりやすいかどうかなんて,主観的な評価なわけで,レビューとしては何の役にも立たないんですけどね。しかし,こう書くしかないところがある。なぜなら,ただの事実しか伝えていないから。

例えば,C の言語仕様は,それだけを伝えるだけならば,誰が伝えても伝えるべき内容が一義的に決まっています。で,邦書の場合,それだけしか伝えないもんだから,どれも書かれている内容はほとんど同じだったりします。それをどう伝えるのか,方法論だけが問題になっているんですね。こうした状況だと,レビューも「分かりやすい」「分かりにくい」形式(方法論がいいか悪いか)にならざるを得ません。

他方,著者が「自分の考え」を伝える媒体を書籍だとするのであれば,著者の考えや考えた結果を表明する必要があるはず。それは,著者が自ら探求した結果を表明する場であるはずだし,批判される可能性を孕んでいるともいえる。しかし,邦書のほとんどは,他から批判される要素なり,著者の考えなりが表明される箇所が非常に少ない。できあいの技術について,できあいの説明をしているだけに見えます。

下手に著者が自分の考えを伝えると,変なマーケティング本になっちゃうし,なんなんだろ,これ,な感じ。著者自身のキャリアや思想に基づいて著された技術書が増えれば,もう少しマシになるんじゃないだろうかと思うんだけれども,どうなんだろう。そういう人材(書き手)が少ないという話も,ちらほら聞くんだけれども。

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