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ブログタイトルに見る独話の形式について

2010年03月22日

ネットにおける個人の発話(発言)の形式を見ていると,独話の形式を取っているものが少なくありません。内容的に見たら,必ずしも私的なひとり言とはいえなくて,相手方を想定した体系的なものも多いんですけどね。海外のブログは幾分かその傾向が少ない気もするけれど,独話感があるものはある。

独話という形式は,特にブログのタイトルについて現れる。例えば,次のようなタイトル(○○には大抵ブログ主さんの名前が入る)。

  • ○○の{日記|diary}
  • ○○の{メモ|備忘録|ノート|ネタ帳}
  • ○○の{つれづれ|徒然}
  • ○○の{ひとり言|ひとり語り|つぶやき}
  • ○○の{日々|日常}

注記しておくと,こゆタイトルがダメだとか言いたいわけじゃないので,あしからず。あたしも「メモ」とかい書いてることあるし。

ただ,独話という形式を取っているブログを読む場合,少なくとも形式的には,読者がコンテンツを覗き見する関係になります。また,少なくとも形式上,私的な事柄としてつぶやいているのだから,その真偽を保証するものは何もありません。読んでいる人の責任で読んでいることになる。

あたしは,こゆ形式はあってもいいと思うし,悪いもんでもないと思っています。また,真実性に対する手当てに関する限り,オープンなネットでは,間違いを指摘したり話し合うことでより真実に近い記述を残すことができる建前にもなっている。さらに言うと,ネットにある情報のすべてが真実である必要性すら,そもそもないと思ったりもします。

もっとも,その一方で,独話に対応する表現てのはなんなんだろう,とも思うわけです。

それはおそらく,ひとつの完成した表現物なんだと思う。メモや備忘録は,どこまでいっても一時的な覚書だけれども,それに真実性を与え,(必要なら)体系を与えることで,表現はひとつの完成を迎えます。

ずいぶん前(90年代半ばから後半)のネットでは,こうした完成した表現物がむしろ主流だった気がします。ところが今,そゆコンテンツはむしろネットを離れて,従来の出版に回帰している感すらある。

ま,だからなんなんだといったら,「別にただそれだけ」ってな話なんですが。個々数年来,少し体系的に自分の知識をまとめてみたいな,とか思っているもんで,書いてみました(これも独話)。

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