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国松元警察庁長官狙撃事件の時効についてつらつら

2010年03月30日

当時,あたしゃ高校生だったけれども,初動の時点から証拠が少なかった事件だった覚えがあります。メディアも,あまりに証拠が少なくて伝えることがなかったためか,ワイドショーですら「線条痕」なんてマニアックな用語が飛び出てました。あたしゃロス疑惑の世代じゃないので,この言葉を知ったのは本件が初めてだった。

で,この事件,今日で公訴時効が成立したわけだけれども,あちこちから指摘がある通り,これはちょっとひどい話だと思う。

この日、記者会見に臨んだ警視庁の青木五郎公安部長は、異例の「捜査結果概要」を公表した理由をそう述べた。しかし、この中には、「容疑グループ」とするオウム真理教の元幹部や警視庁の元巡査長(44)ら8人が事件に関与したことを明確に裏付ける証拠や証言はなく、識者からは「証拠もないのに、名指しするのは理解できない」との批判が上がっている。

長官銃撃、時効後の「オウム名指し」に批判 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

こんなにひどい負け惜しみはない。

オウムにまつわる事件については,これまで様々な見解や分析があったことから,この場で大したことは言えなかったりします。しかし,個人的に感じるのは,オウムという主体が何らかの犯罪を実行した,といった事実が問題なのではなくて,オウムという「現象」に対して,世論をはじめ,識者やメディア,そして権力機関すら,ことごとく後手に回って翻弄されていたという事実です。

オウム真理教の教義それ自体は非常に薄っぺらいもので,やってることも麻原が胡坐をかいたままピョンピョン飛んでみたり,信者がけったいなヘッドギアをつけて電気を流したりと,漫画的ですらありました。そして,こゆものは,主にサブカル方面に受け入れられることになる。今ではややオサレなサブカル雑誌になってしまった Quick Japan も特集として大きくオウムを取り上げていたし(まだ持ってるし),その方面が(あたしよりも)好きな友人は,体育祭のマスゲームでショーコーダンスをやろうとか主張していた。

それでは,こうした薄っぺらさに意味がなかったのかというと,そゆことではないと思うんですね。というのも,教義の薄っぺらさゆえに,教義そのものが攻撃されることがなかったから。誰もがその教義のアホくささを知っていたし,したがって,この教義を攻撃することはそれ自体(サブカル的に)愚かな行為とみなされていたところがあったのだと思う。

その一方で,彼らは教義から離れた現実の問題に対しては,極めてロジカルに行動しました。討論番組なんか開こうものなら,識者はボッコボコやっつけられていた。世論の側には,彼らのこうしたロジカルな側面に対して共鳴する向きも少なくなくて,上九一色村に強制捜査が入るまで,信者ではないもののオウムの支持者を名乗る向きは珍しくありませんでした。追っかけだっていたくらいなわけで。

こうした,極めてロジカルであるにもかかわらず,教義やその他の行動において漫画的な不条理さを抱えるオウムをどう扱ったらいいのか。その不安に自覚的な人間は,「マインドコントロール」という言葉に対して,敏感に反応するようになったりもした。人間の倫理や行動原理を,ここまで世論的に揺さぶった「現象」は他になかったんじゃないだろうか。

そして,今回の警視庁会見。

今回も警視庁は後手に回ってしまいました。「被疑者を立件できなかったけれど,あいつがやった」なんて主張は,まともな見識を持った権力機関が口にするようなことじゃありません。オウムの不条理にアテられたかと,穿った見方もしてしまいたくなります。

このサイトで以前1995年はろくでもない年だった,と書いたけれども,これは今も同じ。日本中を席巻したこの奇妙な「現象」について,いまだに反省もなければ対処法も見出されていない。こんなに恐ろしい光景はもう二度と見たくないのだけれども。

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[2010年03月31日 22:48] 国松長官狙撃事件の時効成立会見で公安部長が犯人をオウム真理教と断定は憲法違反? from 自分なりの判断のご紹介
国松警察庁長官が狙撃され 負傷し、警察の威信をかけて 捜査したにも関わらず犯人を 特定できず、結果と... [more]
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