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フッサールな人は苦労するだろうけど憎めない

2010年04月15日

どうでもいいことなんだけれども,フッサールな人(フッサール的な生き方を志向している人)やフッサールが好きな人ってのは,生きていく上でとても苦労するんだろうな,とふと思いました。しかし,こゆ人は個人的に憎めない,というか愛すべき人間なんだよな,とも思う。

フッサールは,現象学の思想家/哲学者です。もともとは数学の研究者だったんだけれども,そもそも「数」ってなんなのよ?とかいった疑問を持ってしまったばっかりに,思想の方面に進んでしまった人。みんなが当たり前だと思っていることの基礎(基礎付け論)について疑問を持ってしまうことで,深みにはまってしまう人ってのはいるわけで(少なからずあたしもそうだが),そゆ向きはいろいろなところで苦労してしまいます。

後々になって,フッサールはデリダによってこてんぱんに批判されてしまいます。あたしも,デリダの批判は正しいと思う。しかし,フッサールの生き方というか志向については,「正しい」とか「間違ってる」とかいった類のものではなくて,「好き」か「嫌い」かといった好みの問題になるのだと思います。あたしの場合,フッサール的な態度は憎めない。

思想家や哲学者がその道に進む過程には,何かしらの履歴があったりします。デリダならフランス領だったアルジェリアのユダヤ人という境遇があった。フッサールの場合は,数学に対する研究熱があったのだと思う。もちろん,それらは,後から他人が付け足したものかもしれないし,自分で自分を脚色しただけなのかもしれません。しかし,いずれにせよ,フッサール的な志向つのは,なんつか,個人的な問題意識として通じるものがあるし,そもそも物事の問題に対したときの不器用さにも親しみがもてたりします。「それはそれ」とかいった具合に,うまく折り合いをつけられない不器用さ。家を建てるときに,かんなやかなづちの仕組みを議論しないと済まないような不器用さ。

そう,高倉健なイメージなんだよな。フッサールって(違うか)。

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