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すべり芸について

2010年07月20日

すべり芸というのは,ウケない芸を披露することが芸にになっているという,逆説的な芸のことです。村上ショージやふかわりょうの芸といえばいいと思う。

で,このすべり芸なんですけれど,この構造がなかなか面白いと思うんですね。この点で,ちょっと前にフジテレビを見ていたところ,『悪いのはみんな萩本欽一である』なる番組をやっていて,彼がすべり芸を発明した張本人だといった話がありました。もっとも,これは,欽ちゃんがすべり芸を披露したということではなくて,「欽ドン!」で素人を参加させたことから生まれた笑いが,すべり芸につながっているという話でした。ほう……と。

一般的に,バラエティ系の笑いは,「フリ」に対する「ボケ」があって,これに対する「ツッコミ」が入るというのが定番だったりします。で,すべり芸の場合,このフリに対応しているのが,「ちゃんとボケられるはずだ」という意味のフリなんですね。これは,意味的にかなり高度なフリだと思う。

というのも,フリというのは,ボケの基準を与えるもので,ボケというのはフリの意表を突くことだから。フリによって期待されている通りのことをしてしまったら,そもそもボケにならない。例えば,水族館という設定で「魚がたくさん泳いでいるねー」というフリがあったとします。ここで,「鯵が泳いでいるよ!」とか言うのは,フリをそのまま受けているだけなので,ボケとして成立していません。一方,「あれおいしそう!」とか言ったら,少しボケになる(つまらないけど)。これは,「鑑賞目的で魚をみよう」というフリに対して,「食用にする」という意味をかぶせることで,フリの意表を突いているといえます。そして,こうしたフリとボケの最たるものが,大喜利だと言えそうです。

では,すべり芸の場合はどうか。ここには,「ちゃんとボケようね」というフリがあるわけだけれども,ここでちゃんとボケてしまったら,フリをそのまま受けているだけなのでボケにならないんですね。つまらない。「欽ドン!」をはじめとしてテレビで笑いをとる素人は,当然のことながら「ちゃんとボケること」ができません。だからこそ,逆に面白い。

一方,こうした芸が成立するには,視聴者の側にして「フリに対する一般的なボケ方」を踏まえていることが必要です。つまり,普通の笑い方を心得ているからこそ,素人の「すべり」がボケとして成立するんですね。言ってみれば,従来の笑いに対してメタな位置に立っているからこそ成立している笑いだったりする。結局のところ,すべり芸というのは,ボケる芸人の芸というよりは,フリから生まれる芸だといえるのだと思います。そして,この芸を笑うためには,観客も含めた笑いの構造を従来のそれから大きく転換する必要があったりするんじゃないだろうか。

すべり芸の笑いについては,結局のところ,「すべることは芸か」といったところに集約されるんだと思います。その点で言えば,おそらくすべり芸は芸なんだと思います。一方で,すべり芸人は芸人かといったら,おそらく彼らは芸人ではない。フリを出す役,あるいは,すべるシチュエーションを設定する構造的な枠組みにこそ,芸の本質があると思うからです。

本職(?)のすべり芸はもちろん,アイドルのすべり芸も含めて,なんつかこの種の笑いは,従来の笑いのフレームワークに全面的に依存している点で,とても脆弱に見えてしまいます。「笑い」という枠組み(業界)の中でクネクネと内輪ウケしているように見えるのは,多分そのせいなんだと思う。

あたしゃ,ふかわりょうのネタは昔から割と好きなんですけれど,他の芸人にいじられるようになって,あらゆるネタがすべり芸に落とし込まれるようになってからは,なんだかトホホな印象しかなかったりします。残念。ま,そんなところ。

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