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所在不明者の事情はいろいろなんだけれども

2010年08月05日

また,ニュースの話から。

あたしの親類は,現役のとき,某役所で就籍の業務を行っていたんですけれど,それはまさに所在不明とされている方を扱う業務でした。就籍というのは,戸籍がない人を対象に,戸籍を作る手続のこと。記憶があいまいな当事者から聞き取りしたり,関係のありそうな人から話を聞いて,親類や元の戸籍があるか探したりもしたそうです。

横浜の寿町(いわゆる「どや」)なんかには,戸籍がどこにあるのか分からなくなっていたり,失踪者として戸籍を消されている方も,たまにいらしたりします。

で,そこでの話なんですけれど,どやという場所は過去の経歴を何も問われない場所なわけで,事情のある人は望んでそこで暮らしていたりします(全員でないことを強調しておく)。その理由は,借金かもしれないし,怨恨かもしれない。ともかくも,過去を捨てて,戸籍も捨てて(自分で捨てることはできないが),そこで生きることを選択した人たち「も」いるんですね。

そこで,この頃の報道なんですけれど,所在不明者を無条件に「孤独でかわいそうな人」とみなすスキームというか,フレームというか,そういう態度はどうなんだろう,とか思ったりするわけです。そこには,国家的/集団的な管理の下,あるいは公の目の届く場所に置かれることが「幸せなこと」である,という大前提がある。所在を見つけあげて,暴き立てることをいい迷惑に思っている人もいるんじゃないだろうか。いわんや,このフレームから「古きよき日本の大家族」みたいな掛け声を導くのは,短絡も甚だしいと思うわけだけれども,どうなんだろう。

過去を消した人に聞き取りしたときのエピソードで,ふるさとの名物がテレビに出ているのを見て故郷が恋しくなった人がいたそうです。実家に連絡してしまったんだそうな。人にはいろいろと事情がある。ひとくくりにして,分かりやすいひとつの掛け声をあげるのは乱暴だろう。問題は,それを取り上げる報道なりメディアなりが,個々人の人生の暗部というか機微というか,そうしたものにどれだけ踏み込む勇気があるかにあるのだと思います。そうした覚悟のない昨今の報道は,非常に軽薄に見えるし,白々しく感じてしまう。

ま,ちょっと思っただけ。

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