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対応依存の機械論的な問題設定の話とか

2010年08月12日

引きこもりとニートとオタクが,それぞれ別概念なのと同じで,所在不明老人と孤独死寸前の老人とホームレス老人は,重なり合いはあるだろうものの,別のものだと思うんですよ。で,こゆプライベートな領域にあるものは,名づけ始めたらいくらだって細分化できるわけで(○○系ニートとかいった具合に),突き詰めてしまえば,個人そのものに至ってしまうと思うわけです。

そするとですね,こゆ話は社会問題として把握しつつも,その解決なり緩和なりにおいては,臨床的な対応が必要だと思うわけです。そしてそうした活動は,目立たないけれども行われている。なんつか,福祉行政の体制を整えるとか,地域の絆をほげほげとかいった,特効薬めいた全体的な対応を掲げたところで,とても空しい。もちろん,変な手当てを所在不明の人間につけていたなんてのは,制度運用的にアレな話なわけなんだけれども。

個人的に思うことなんですけれど,巷の話をつらつら見ていると,問題に対する対応を考えているのではなくて,今そこにある問題を,対応の結果にあわせた問題に改ざんしているんじゃないかと思うことがあります。例えば,子供の学力を上げるには塾に入れればオッケー,とかいったもの。○○を食べたら健康になれるとかいうのも同じ。これ,「子供の学力を上げる」とか「健康になる」とかいった目的が,「塾に入れた結果」や「○○を食べた結果」にすりかえられているんじゃないだろうか。こゆ仕組みに合わせた問題設定は,非常に機械論的というかシステム論的というか,そゆ硬直化した社会観なり学力観なり健康観を前提にしているように思えてしまいます。いってみりゃ,思考停止ということ。

そして,こゆ硬直化した問題設定に依存している社会は,「大きな声」に非常に弱いとも思う。誰かが大きな声でそれっぽい「問題-対応のスキーム」を提示すると,それに依存した問題設定が次々と再生産される。微妙で多義的で臨床的な問題も,磁石に吸い付くように,ひとつの原因-結果のスキームに回収されてしまう。

ま,別にどうでもいいっちゃどうでもいいんですけどね。せっかくお金を払って新聞取ってるんだから,もちっとマシな記事書けと思っただけ。

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