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昔の日記みたいな戯言を読んでいて赤面するの巻

2010年08月15日

引越しするもんで,身の回りのものを整理しているんだけれども,天袋の奥から昔の日記みたいなもんが出てきました。今ではこの場でモノを書いているけれども,こゆことは昔からやっていたのでした。浪人生から大学生の前半まで,ノートにして5冊。週に1通くらいのペースで,1ページにびっしりと書いてあります。

それにしても,まあー……赤面するようなことをたくさん書いたものです。今みたいに公開する場がなくてよかった。こんなものは焼いて捨ててしまおう。と,その前に,多少他人に読ませても読めそうなものを残しておきます。文中Aというのは,学生時代の知り合いを指しています。

(引用ここから)

1997.12.11

先日,Aに「人のなぐさめ方」のことを話した。考えてみると「人のなぐさめ方」って難しい。「なぐさめる」っていうことの目的は何なんだろう?「相談を受ける」ことと「なぐさめる」ことは,僕にとっては同じことのように思えるのだけれど,Aは「なぐさめる」ことと同じことは「人の話を聞いてあげる」ことだと思っているようだ。「人の話を聞くってことは根本の問題はとりあえずおいておいて,相手の不安や混沌とした心中を口に出すことで,自分を客観化させること」とAは言っていた。確かに,それは相手の苦痛や不安を和らげるかも知れない。けど,それは「なぐさめる」とは意味が違うように思える。やはり「なぐさめる」とは,産婆術よろしく相手といっしょに(というか相手とむしろ一体となって)当該問題の解消を目指すものだと思う。そのためには,自分もその問題にはまり込まないよう,相手の1歩2歩先を考えておく必要があるはずだ。

Aが,三角関係になっている女の子から相談を持ちかけられたとき,彼は聞くことに終始していたらしい。それでその女の子の気が晴れて,元気になったのなら結果オーライなのでいいと思う。だけど,聞くに徹することによって,問題は少しも解消しない。もしかすると,彼女が元気になったついでに,三角関係の打破にふみきるかも知れない。それは大きな前進だ。けど,相談を持ちかけられた者として,自分の意見を言わずに「あとは御自由に」というのは,あまりにも無責任なんじゃないだろうか。

「なぐさめの言葉」っていうのは,少しでも相手の気持ちと同化しないと,意味のないざれ言になってしまう。少なくとも,何か相手の次のステップを探し出すような「言葉」が必要なのだと思う。

「ふられちゃったの」→「そうか」よりは,→「忘れちゃいなよ」の方が,よっぽど相手ののためになっていると思うのだが……。

(引用ここまで)

ま,なんつかね……ここまで恥を晒す必要があるのかとも思うんですが……大学1年生のハタチ(浪人したから)が考える/書けることなんて,所詮こんなもんです。しかし,人から相談を受けるときの基本的な姿勢として,上のような態度は今でも心がけているつもりです。それが臨床の作法としての基本的な原則だと思うからです。

それにしても,この日記,本文はボールペンで書かれているんですけれど,ひとつも間違えて消した跡がないのに驚愕。よほど丁寧に時間をかけて書いたのか,それとも集中力が飛び抜けていたのか。ともかくも,今の自分ではできない芸当だと思ってしまいました。今のノートは汚いのなんのって……。

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