Entry

恥さらしついでにもうひとつ日記から

2010年08月16日

なんか,理想と現実の話を書いてたりする。最初の方はあんまりなので,途中から引用します。

(引用ここから)

しつこく書くが理想を現実まで引き下げるということではない。理想に囚われないで,心の赴くままに現実を肯定すべきだ,といっているのだ。確かに,理想はより自分を客観化した結果だから,対世的にも胸を張って発言できるものが多いはずだ。しかし,現実を見ることができないということは,自分の判断に自信を持つことができずに,逆に「周りからどう見られているか」ということしか考えることができないということだ。自分の価値観を他人にあずけていることと全く同じなのだ。

(引用ここまで)

最初の方をぱっと読むと,理想主義と現実主義の話のようにも見えるけれども,そゆ話を書いているわけではありません。少し弁護も含めて解説しておくと,前の文章で,完全に主観的な意味で「理想」なるものは語れないのではないか,という話があります。「理想」なるもんは,主に他人の視点を介することで,「言葉」として客観化された実体なんでねいの?という話。一方,それに対置する形で,「現実」なるもんを,自分の主観が導いた言語化できない(他人と共有できない)印象のようなものとして捉えています。そこで,自分が何かを判断するとき,他人の価値に汚染された(と当時は思っていたのだと思う)理想に基づくのか,それとも言語化できない感性(的なもの)に基づくのか,という話をしているのだと思います。

本文を読んでいて,あ!と思い出したことなんだけれども,そういえば,この当時とても弁の立つ人を目の前にして,とても違和感を覚えていたのでした。どこかで借りてきたような言葉を巧みに使って,微妙な問題を次々と言語化していく人。おそらく今でも「デキる人」とかいった評価になるんだろうけれども,なんだか違うんでねいかと思っていた。もしかすると,圧倒されていたのかもしれません。

思春期ですね。(暗い)青春ですね。書いてる当時,将来33歳の自分がこの文章を公開するとは思ってもみなかったんだろうな……。ごめん,20歳の自分。さらしちゃった。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN