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生理的に受け付けられないソフトウェアとかコンピュータの身体化とか

2010年08月27日

ものすごく個人的な印象なので,嫌悪感を持つ方がいたら申し訳ないんですけれど,この頃,生理的に受け付けられないソフトウェエアの分野があって,ちと脱力することがあります。

それは,生身の動物としての「私」をコンピュータに乗せるようなソフトウェアです。身長・体重あたりを記録するようなものならまだ大丈夫だけれども,心拍ロガーとか月経周期ロガーとかは生理的にダメ……。同様に,生まれて間もない子供の記録をとるようなソフトウェアも受け付けられません。Wii Fit あたりは微妙だけれど,どちらかというとダメな方。

どうしてか。言葉で説明できない類の嫌悪感なので,理由についてはなんとも言えないんだけれども,人間の動物的な側面をあっさりコンピュータの上に乗せてしまう人とは,コンピュータとの付き合い方が根本的な部分で異なっている感じがしています。そして,これは多分,世代的なものではなく,コンピュータが普及した頃にコンピュータに触れた人と,コンピュータがニッチな遊び道具だった頃にコンピュータに触れた人の違いなんじゃないかとも思う。よく分からないけれど。

これはあたしの感覚だけれども,コンピュータに対するときの感覚は,あくまでも道具を使う感覚の延長だったりします。「コンピュータを」とか「コンピュータで」とかいった「語」が,はっきりと前面に出ている。あくまでも,コンピュータと自分は別物で,なかんずくこれは理知的な部分を扱う道具である,という位置づけです。これに対して,普及した頃にコンピュータに親しんだ人は,もっとコンピュータが自分の身体に近い場所にあるんじゃないだろうか。「どちらがいい」とかいった話ではなく,素朴にそう思う。

「人類は道具を身体化することで発展してきた」みたいな話があって,例えば,望遠鏡で視覚を補強したりのこぎりやはさみで素手の繊細さを合目的的に補強したりしてきた,なんて言われることがあります。コンピュータもその一環として身体化されている,と説明できるんだろうけれども,動物としての身体を明け渡すこととは,少し話が違う気がしています。他方,身体化というと,昨今は AR(Artificial Reality; 人工現実感)のような分野が盛んに研究されているけれども,個人的にこゆのは大丈夫。動物的な部分を機械に明け渡している感覚が薄いからだと思います。

コンピュータやネットワークというのは,その上に乗っかるものをすべて平準化してしまうところがあったりします。平準化されるからこそ,同じ処理に乗せることができるし,通信する(コミュニケーションをとる)ことができる。そうした環境に動物的な身体をさらすと,個体としての「私」は簡単に溶け込んでしまうんじゃないだろうか。そう考えると,機械に動物的な身体を明け渡すことに対する嫌悪感は,動物的なアイデンティティに対する危機感なのかもしれません。

ま,別にどうでもいいことなんですけどね。ちょっと思っただけ。

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