Entry

唐突だけれども民主主義と民主制について

2010年09月07日

よく言われることだけれども,民主主義と民主制ってのは,少なくとも公法学上,違うことを指していたりします。詳しくは書かないけれども,ぐぐれば色々出てきます。

で,民主主義についてなんですけれど,民主制が制度(法体系といってもいい)によってその存在を確証できるのに対して,民主主義は何によって確証できるのか,というのがここでの話。ここら辺は難しいところがあって,「そういう建前になっている」といえばそれまでなんだけれども,ひとつの考え方として,抵抗権ひいては革命権を自然権として認めることができるか,という問題があります。

革命というのは,現政権を転覆して,既存の法体系をチャラにすることですから,現制度によって正当性が担保されている行為ではありません(日本法でも内乱罪は厳しく処罰される)。現制度でも正当だったら,自己矛盾ですもんね。革命は,成功すれば内乱罪を支える法制度そのものがチャラになることから,この罪で処罰されることはなくなります。抵抗権なり革命権なりを認める人は,それは現存している法体系の埒外にありながら,自然法的に肯定される……とか説明することになるんだと思います。

一方,日本で公法に携わる向きの説明では,抵抗権なり革命権なりといった原初的な権力は憲法の中に「自らを書き記す」形で制度化されたとする見解が主流だったと思います。つまり,憲法改正のような直接民主主義的な制度で原初的な権力はラップされたと考えるわけです。この考え方はうまいと思うものの,なんだかテクニカルすぎて,あたしはあまり好きではありません(純粋に好みの問題だけれども)。宮沢俊義も言うように,自然権を法制化することはそもそもかなり難しいわけで,それをあっさりと自ら制度化するというのは,なんとなく引っかかるところがあります。

ともあれ,この見解によると,民主主義と民主制がそれぞれ指し示す対象は,現実においてかなりの程度接近することになる。両者の混同は,ここからきているところもあるんじゃないだろうか。

話は少し変わって,今民主党のゴタゴタで,候補者の双方が「民主主義」とか言っているわけですけれど,これは基本的に民主制だと思っていい。しかし,先にも書いたとおり,少なくとも抵抗権/革命権が憲法上制度化されていると考えている国においては,その両者は解釈によって制度的にも自然権的にも解釈することができちゃったりします。今回の民主党代表選だけの話ではないけれども,候補者の多くは,民主制ないし民主主義ついて,この多義性を演説にうまく織り込んでいるわけで,聞く側は非常に慎重にならなくてはいけないとか思うわけです。

ぶっちゃけた話,選挙の機会に「民主主義」とか「民主制」とかいった大上段の論理を自説の論拠にするような主張は,聞かなくてもいいと思っていたりします。あ,そゆ風にいいたいのね……くらいに思っておけばいいんでねいか,と。ま,みんなその程度に受け止めているんでしょうけど。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN