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本日の読売新聞「編集手帳」

2010年09月19日

最近,読売新聞の編集手帳に絡んでいるわけですが。

安部徹、金子信雄、渡辺文雄…いくつかの名前が浮かぶ。かつて任侠(にんきょう)映画やアクション映画を面白くしてくれた“悪役”の面々である。(snip)「イヨッ」と声を掛ける気にはならないが、民主党政権では小沢一郎氏が一手に悪役を受け持っている。菅首相が世間の支持を保っているのは「脱小沢」の一点によってであり、裏返しの「小沢頼み」にほかならない

9月18日付 編集手帳 : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

今回も比喩で論理破綻している例。一般に,比喩というのは分かりにくい概念や論旨を分かりやすい似たような事例に置き換えて説明する表現です。したがって,喩えるモノと喩えられるモノの間には,常に同じ関係が対応付けられていなければいけません。

例えば,引用に続く「主役だけが映画を支えていたのではないように、何も閣僚になることだけが政権を支える道ではない。静かに、上品に冷や飯を食うのも「イヨッ」に値する立派な貢献である」という一節。「主役」が管内閣に入閣した面々を指していて,「悪役」が小沢氏と同氏を支持したグループを指していることは明らかです。政界に悪役は必ずしも必要ない点で,悪役を必要とする仁侠映画に喩えることがそもそもおかしいとも思うんですけれど,それは措いておきます(仁侠映画的に解釈したいのは,報道の無意識的な共通認識なんじゃないだろうか,とも勘ぐってしまう)。

しかし,「静かに、上品に冷や飯を食う」こととは,小沢氏と同氏を支持したグループの具体的な態様として,どうすることに対応しているのか。「反発」の文言から,政局含みの政権批判を内部から起こすなといっているとも考えられるけれども,明らかではない。こうした,無責任で「空気読め」的な表現が,「編集手帳」には非常に多い。

また,最後の一文である「主役は悪役に甘えるなかれ。悪役は主役を後ろから撃つなかれ。」という一文。これにしても,仁侠映画で主役が悪役に甘えている例があったのだろうか,また悪役が主役を後ろから撃った例があったのだろうか。仮にあったとして,それでどんな悪いことが起きたのだろうか,そしてそれは現在の管政権をとりまく状況において,何に対応しているのか。ぶっちゃけて言えば,こんな例はない。喩えられないモノにまで当初の比喩を引っ張ってしまったがために,論旨全体が破綻している。

さらに悪いことに,上の一文は,冒頭で批判した「裏返しの「小沢頼み」」,すなわち"主役と悪役の共犯関係"のフレームにガッツリと乗っかっています。「裏返しの「小沢頼み」」批判と「主役は悪役に甘えるなかれ」の文言は矛盾しているように見えるのだけれども,違うのだろうか。

こゆのは,書き手の裁量とか表現上の機微とかいった話で片付く問題ではなくて,純粋に論理的な構想力の問題なんだと思います。ま,他人の文章を云々するほど,あたしに文章力があるわけじゃないんですけどね。あまりにも分からない文章だったので書いただけ。

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