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押尾事件雑感

2010年09月21日

押尾事件は,被害者が死亡するに至る経緯において,不作為の態様と当該結果の関係(遺棄と死亡の因果関係や作為義務の有無等々)を認定するのがなかなか難しかった事件だったんじゃないかと思います。その意味で,酒井典子の場合のような,単なるシャブ中話とはちょっと毛色が違っていました。

この点,講学上,刑事法をかじった人ならみんなが知っている判例に,最決平成元年12月15日刑集43巻13号879頁があります。これは,暴力団員の甲が被害者Aに覚せい剤を注射したところ,後にAが急変し急性心不全で死亡したという事例。不作為と死亡の因果関係(ひいては作為義務)を認めて,不真正不作為犯による殺人罪が成立するかが問題になったわけですけれど,ここで,最高裁は「被害者の女性(A)が覚せい剤により錯乱状態に陥った午前零時半ころの時点において、直ちに被告人(甲)が救急医療を要請していれば、同女が年若く(当時13年)、生命力が旺盛で、特段の疾病がなかったことなどから、十中八九同女の救命が可能であった」として,因果関係を認めたのでした。

この事例では,覚せい剤を注射した先行行為があって殺人罪で起訴されていたことから,作為義務を認定するための程度も「十中八九」とかなりの確実性が要求されているけれども,基本的に保護責任者遺棄致死罪における遺棄と死亡の因果関係も同様に問題になります。

(不真正)不作為犯における因果関係の扱いは,人によって見解が異なるところがあるんですけれど(結果回避可能性が構成要件要素なのか単なる因果関係の問題なのかで未遂成立の有無が変わったりする),いずれにしても今回の事案でも,無罪を主張する押尾氏としては,遺棄と死亡の因果間関係(あるいは作為義務),あるいは遺棄の事実そのものを否定するところに重点が置かれるわけで,その通りこの点が争点になっていました。つまり,「助けてたら助かってたのか」というところ。これは可能性の問題なので,かなり認定が難しかったんじゃないだろうか。

報道を見る限り,実際は,実体法的にではなく手続法的に証拠の信用性でもって被告人側の主張を退けることになったみたいだけれども,検察側で致死まで立証することができなかったといったところなんだろうか。あたしゃ報道しか見ていないんですけれど,(たまに刺激的な証言を誇張しつつ)ただ証言を羅列してるだけで,具体的にどこが争点になっていてどこを争っているのかさっぱり分かりませんでした。

思うんですけれど,情状面で争う一般的な事件ではなく,否認事件の刑事裁判を見るには,少なくとも次のような視点が必要なのだと思います。

  • 被告人がどのような罪で起訴されているのか。
  • その罪の構成要件(罪を構成する事実)が何なのか。
  • 被告人はその犯罪の構成要件の中で何を争っているのか。
  • 争っている内容で似たような事例(判例)はあるか。
  • 争っている事実に対して,検察側/弁護側はどのような主張/立証をしているのか。
  • 裁判所はその争いに対してどのような判断をしたのか。

少なくともこうした内容を踏まえてないと,本当だったら,判決が妥当なのか不当なのか判断できないはずだと思うんですね。なぜなら,これらを除くと,判決が妥当(あるいは不当)と判断するのに,寄って立つべき根拠が全くなくなってしまうから。

報道を見ていると,情状の立証や罪の立証,被告人供述の信用性に関する立証等々といった,各種訴訟行為がごっちゃに説明されていて,ここら辺の話にまったく通じていないことが丸分かりでした。巷の反応を見ていると,致死罪を認めなかったことに「ご不満」の方々が多いようなんだけれども,報道しか見ていない人の感想だろうから,そゆ結果にもなるわな,と。

裁判員制度も始まってるわけだし,もう少しマシな刑事裁判の報道にならんもんだろうか。少なくとも否認事件についてはそう思う。

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