Entry

法体系はオブジェクト指向で記述可能かという問題について

2010年09月26日

最近は新刊のコンピュータ関連書籍がいよいよ面白くなくなったので,論文ばっかり読んでるんですけれど,とある論文で,「法体系を中心とした統治システムをオブジェクト指向で記述するぜ」なものがあって,面白かったのでメモ。ま,あたしが見つけたものだけでなく,こゆことはあちこちで行われているので,興味のある方は適当にぐぐってみれば,似たような話が簡単に見つかると思います。

で,ま,これは英米(法)的な考え方なのかもしれないけれども,いくつか論文を読む限り,なんつかですね,法律をかじった人間からするとあまりしっくりこないところがあるんですね。ま,バタ臭いというのもあるんですけど。

英米法と大陸法(ローマ法)の別を問わず,法なるものには主体と客体があって,その関係から生み出される効果(法律効果)が規定されています。これは超基本。例えば,売買契約の主体には売り手と買い手の当事者がいて,売買の対象となる物(ぶつ)が客体になります。この関係を売買契約という関係で名指すとしたときに,売り手には物の引渡し義務が基本的な義務(債務)として発生するし,買い手には代金の支払い義務という基本的な債務が発生します。

これだけ単純な話を見ると,たしかに各主体をオブジェクトと見立てて,相互のメッセージのやり取りをかませれば,モデル化可能だとも思えます。確かに,形式的に適用される下位法の類は実際にモデル化できるしそれに合わせたシステムもできたりします。しかし,これは法体系の中でも極々局所的な話です。法体系一般の話になると,「原理的に」無理なんでねいか,と思うわけです。

なぜかというと,法というのは,生身の権力とのせめぎ合いの上に記述されているルールだからです。ルールの記述内容が同じであっても,生身の権力との関係で内容が大きく変わることがあるし,適用場面がそもそも変わってしまうこともある。権力の主体すら,もともとは王様の類だったけれども,今時は権力そのものが散在しています。つまり,法体系というのは,少なくともモデル化するに十分といえるほどの確実性を持っていないと思うわけです。

もしかしたら,法律がクルクルと変わってしまうとしたら,法の支配もへったくれもないじゃないか,と思う向きもいるかもしれません。しかし,「せめぎ合いがある」ということが,そもそも法を確証しているということでもあるんですね。このサイトでは,何度か「法学は科学ではない」と言っているけれども,すべての理由はそこに収斂されます。

既存のよくあるシステムで,法の運用に良く似たシステムは業務部門のシステムです。受託案件で,業務部門のシステムに携わった方ならよく分かると思うんですけれど,当初要件として挙げられたシステムが,当初の要件通りに運用されるとは限らないことがあります。やっと運用スキームに乗っかったと思ったら,「運用でカバー」されていた……みたいな(承認決済のシステムで,代理と称して承認ボタンを同一人が押しているとか)。会社のシステムひとつとっても,ルールというものがとらえどころのないものだということが,なんとなく分かると思います。

ルールは人が運用することから,潜在的に不確実性を孕みます。モデル化してもモデルを骨抜きにするような運用が必ず行われる。この点,システム通りの運用の遵守を強制するには,「システムで規定された通りの(一義的な)ルールを守ること」という上位のルールが必要です。しかし,こうしたとしても,その上位のルールはこれまた不確実性を孕む権力的な要素の裏書きが必要だったりする。会社システムの一部は,SOX 法の類が一応安定的な上位法として措定できるからこそ,成立できるものだと思っています。

ルール一般をモデル化するということは,単純に主体どうしの関係を静的に記述するだけでは足りなくて(それはただのスナップショットに過ぎない),権力そのものを記述することに外なりません。しかし,そのようなことができるのでしょうか。自分で書いておきながら,「権力そのものを記述する」方法論すら思いつきません。

ま,こゆことは,考え出すときりがないわけで,適当なところでやめとくのが賢い道なのかもしれません。ただそれだけ。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN