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今日観た映画 - 『悪人』

2010年10月03日

生活も落ち着いてきたので,今週は映画を観ることに。話題になっている『悪人』。

実ところ,あたしゃ原作者の吉田修一氏の作品に多くを期待していないところがあって,たしかこのサイトでも『パーク・ライフ』をさんざっぱらこき下ろした覚えがあります。パークライフでは特に言えたのだけれども,同氏の作品はメッセージ性がはっきりしていて分かりやすいものの,物事を単純に二分する傾向があるように思えて,うげ,となっていたのでした。

一方,本作は割と良い作品に仕上がっていたと思います。当初は,犯罪を犯した主人公とそれを愛してしまうヒロインの単純な恋愛話だと思っていたんですけれど,内容はもっと深かった。個人的に,刑事事件に携わる人間(刑事手続における直接の関係者だけでなく刑事事件に少しでも言及する人間)には,ぜひとも観てもらいたい。

「悪人」なる概念がどこから生まれるのか。個人的に,本作の主題は結局この点に集約されるのだと思います。この点,映画は全体を通じて,ひとりぼっちの世界に「悪」がありえないことを強調していたように思えます。宗教的に絶対悪なるものがあるとしても,俗世においてはこれで正しいと思う。少なくとも,「悪」は人と人との関係においてこそ把握できるものであって,それ以外では把握できません。

人は相対的な関係において,善人にも悪人にもなる。親にとって子供は絶対的に庇うべき人間として写るだろうし(放蕩娘が出会い系サイトで危難を自招しても最後まで娘を庇うのが親),殺人を犯した人間も,国道の生活から救い出してくれた救世主に見えることもある。社会正義を追求していると信じているマスコミも,ただの迷惑なタカリに見えることがある。

問題は,そうした相対的な概念である「悪人」を,社会という場においてどのように抽象化するのか,ということ。あたしがかじっていた刑事法では,そうした「抽象的な悪」を問題にする最たるものだったわけだけれども,あたしの結論としていまだに答えは出ていないし,この映画でも「これが悪だ」と結論付けることはしていません。この映画のコピーは,「誰が本当の"悪人"なのか」といったものだったけれども,これは映画を観た個々人に対して投げかけられ続けている問いなのだと思います。

あたしゃこの映画を観たほかの感想を読んでいないけれども,大方想像できる典型的な感想に「本当に悪いのは○○だ」と悪人を名指すものがあるんだと思います。「悪いのは主人公の生い立ちだ」という人もいるかもしれない。しかし,それは違う。本作は,「悪人」という言葉そのもの,とりわけ抽象化・社会化された意味における「悪人」という言葉に対して疑問を投げかけるものだからです。

人と人との関係を問題にしている吉田氏原作の作品としては,比較的洗練された佳作だったと思います。おすすめ。

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