Entry

大学教育を学習塾のように捉えている学生はさっさと社会に出た方がいい

2011年02月21日

某エントリを(かなり丹念に)読ませてもらって思ったこと。直接関係ないのと引用するといろいろありそうなことがあるので,元ネタは適当に推測してください。

えとですね。某エントリに限らず,大学教育を中等教育課程や高等教育課程の延長として捉えて,社会や企業が求める人材に育て上げよう!な話があるわけですけれど,こゆ考え方があること自体,非常に「なまっちょろい」と思っていたりします。高校出たらいい大人なんだから,社会や企業に受け入れられる人間になりたいなら,さっさと本番の社会や企業に出ればいい。

もちろん,高卒の能力では身体的・精神的に,当初ギャップもあるだろうけれども,同じ4年間だったら,学校教育から離れた社会で生活した方が社会的な適応力は育つでしょう。大卒程度の専門性を厳しく問われるような立派な会社に勤めようとでも思わない限り,ほげほげリテラシーだって高卒程度で十分です(高校教育をしっかり受けていればの話だが)。このサイトで,以前,成人年齢を18歳にしろと書いたことがあって,それは今でも言っていることなんだけれども,それにはそういう理由もあります。

一方,大学教育はというと,これは,何かを「教えてもらいに行く」ところではなくて,むしろ「学び取りに行く」場だと思うんですね。答えが見つからない,あるいは問題すらも発見されていない領域を,自分で探し出して一生懸命考えるところです。そのために大学の施設や教員を「利用しに行く」わけです。こう考えるのは,あたしが出たガッコの気風が原因なのかもしれないんだけれども。学校に何かしてもらおう(例えば就職を世話してもらおう)とか思ってる学生は,ロクなもんにならんぞ。

私的な話になってしまうけれども,あたしの大学時代の専門は刑事法学で,今やってるソフト屋さんとはまったく違う分野だったりします。けれども,大学教育のすべてが無駄だったかというと,そんなことはありません。特に効果を実感したのは,「自分で学ぶための学び方を学べる」ということでした。それは自分が知りたいことややりたいことを,具体的な言葉を使って表現できることであり,そして,その解決のための手順を(場当たり的にではなく)理屈を踏まえて定立できることです。法学部を卒業した後,あたしゃソフトウェア工学やその基礎となる大学数学の勉強を(必要に迫られて)自学で始めたけれども,それほどしっちゃかめっちゃかにならなかったのは,大学時代をくぐっていたからだと思っています。今では,IEEE TPAMI も普通に読んでて,自分で実験することもできるようになった。

ま,これを問題解決能力とか言ってしまうとそれまでなんだけれども,なんだか巷では「問題解決能力の身に着け方を教えてくれ(あるいは教えてやる)」とかいった,矛盾した話が蔓延していて,なんか違うぞとか思っていたりする。そゆのは,そもそも教える対象(object)にはなりえないわけで……。どこまで受身なんだと思ったりする。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN