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ソフトウェア業界のインクリメンタリズムと実験台になる世界について

2011年03月09日

アジャイルが流行りになったからか,ここ数年ソフトウェア業界では,とにかく早くソフトウェアをリリースすることが求められていて,一部界隈では早く作ることをかっこいい態度として受け取っている気もします。プロトタイプでもいいじゃないか,とか公然と言ってる向きも普通にいる。

いや,プロトタイプがいけないわけではありません。アジャイルが流行る前から,それなりにできる開発者は手早くプロトタイプを作って動作を検証していたし,テストファーストなんて言わなくたってやる人はやっていました(流行ってやりやすくなった面はあるけれども)。そうではなく,プロトタイプを製品としてリリースする際の心理的な障壁が非常に低くなっている気がしていて,それになんだかなぁと思うわけです。また,それだけでなく,この態度はひとつのバタ臭い思想に乗っている気もする。

あたしが普段割とミッションクリティカルなモノに携わっているからかもしれないけれども,プロトタイプに毛が生えたようなもんをリリースすることに対する違和感は,端的にゴール(ソフトウェアの目的)が明確に設定されていない(ように見える)ところに求められます。アジャイルかぶれの人の中には「完璧なソフトウェアなんてない。育てていくもんだ。」とか言っている向きもいるけれど,単純に自分が何を目指しているのかわかってねーだけだろ,とか思ったりもする。また,試作品を世に出して,β版のまま市場の判断を待つという態度は,世間を実験台にしているとも思えるんだけれど,どうなんだろう。もちろん,そゆのもあってもいいけど,最近多すぎるんでね?とかとか。

つか,本来的に「アジャイル == 不完全なものを市場に出すこと」ではないんだけど。

もうひとつ,こうした態度の裏側には,それを支える古典的でバタ臭い思想が潜んでいると思うんですね。それが,インクリメンタリズム(漸進主義)です。ここでインクリメンタリズムは行政学/政治学上の用語で,開発系におなじみのインクリメンタル開発とはまったく関係のない概念です。ま,ちょっとずつ良くしていけば,そのうち究極のいいもんになるよという話。こうしたある意味で弁証法的なアプローチは,個人的に宗教に近い信念の一種だと思う。さまよってるだけ。

もちろん,ソフトウェアの開発には不確実性が常に伴うわけで(ソフトウェアに限った話でもないだろうが),どのようにすれば,それをプロジェクトの制御下に置くことができるかは,考えなくちゃいけません。しかし,それにしても,こうしたインクリメンタリズムによって世界や世間やクライアントやエンドユーザを実験台にしていいのだろうか。GA や山登りのようなヒューリスティックな方法論は,ソフトウェア設計/製造の場面であまり相手にされないけれど,プロジェクト運営なり開発手法の場面ではなんの疑問もなく受け入れられる不思議。

ま,リスクはユーザがひっかぶるからかもしれないんですけど。「まだできあがってませんからっ!」とか言っとけばいいわけで。いつできんだよ。

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