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理論の背景にある思想の話

2011年04月23日

こちらの話を読んでいて。理科系(と呼ばれる)領域の話なので,あたしゃ専攻からして門外漢なんですけれど。

大学を修了した学士の人は、専攻した分野の新しい問題に対して「習っていないので、分かりません。」と解答することは許されないと思う。

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基礎知識に基づいて多様な問題に解答できる能力を「学士力」と呼ぼう。学生は,考える「切っ掛け」が与えられて学士力をつけているようである。逆に言うと,学生は考える「切っ掛け」を求めている。What(=知識)だけでなくHowとWhy(=背景にある考え方)に飢えている。

自分で考える「切っ掛け」が学士力を育む:教育:Chuo Online : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ある方法論なり理論なりは,それだけでその場にあるわけではなく,何かしらの(人間による)目的に基づいて確立していたりする。そして,このことを考えることは,自分でモノを考える上でとても重要だと思っています。これは哲学や法学のような分野では当たり前なんだけれども,数理を扱う分野では,割とそこら辺がなおざりになっている気がしています。

例えば哲学の場合,以前出した例を挙げると,なぜカントが「物自体」と言わなければならなかったのか考える。法学の場合,なぜ結果無価値という概念が出てくるのか考える。さらには,結果無価値や行為無価値における無価値概念は刑事法上なぜ必要なのかを考える。こゆことはとても大切だし,学生のうちしかできないことのようにも思えます(考えるのに時間がかかるので)。

つまり,よく「基礎を学んで応用に進む」とかいった話があるけれども,物自体や結果無価値の「内容」を「知っている」だけじゃ応用に進むための基礎としてはダメで,どうしてそういう内容が必要なのか,なぜそういう発想に至ったのかを考えないと,それを「知ってるだけの人」になってしまうんでねいかな,と。で,「習ってないから分かりません」とか言っちゃう。

一方,数理を扱う分野,例えばコンピュータの分野では,そゆことを考える必要はないのでしょうか。手前味噌な話で恐縮だけれども,あたしはここ数年,画像認識関係のプログラムに触れていて,理論の背景にある思想を考えることの重要さを痛感しています。この分野は,既存の理論を柔軟に応用できないとまったく歯が立ちません。

例えば,引用でも例に出されていたフーリエ変換について,その内容だけを知っていても,応用する場面においてはほとんどまったく役に立たないと思うんですね。背景にある考え方を考えたことがないと,そもそも信号解析に使われていた道具(理論)を,画像に適用しようという発想が出てこないのだと思う。また,今ぼちぼちおべんきょしているモルフォロジー(morphology)なんかも,今われわれが認識している世界について,どう記述しようとしたのかを考えないと,まったく応用がきかない。モルフォロジーの背景には,「この世界は非線形だけれども,計算可能なはずである。記述できる枠組みは束論のはずだ」という前提がある(らしい)。同様に SVM も線形な世界と非線形な世界の調和(あるいは邂逅?)を問題にしようとしている。

結局,モルフォロジーの演算には dilation と erosion それに opening と closing があって……とか「覚えてる」のは当たり前だとしても,それだけで基礎として十分かというと微妙な感じがしてしまうわけです。これだけだと,「ただの広げたり縮めたりするフィルタでしょ?」で終わってしまう。

今月の TPAMI では,とあるモルフォロジーを使った分野の成果が紹介されていて,ひとりですげぇと思っていました(銀河の写真から星と星雲を分離する処理だった)。世の中には頭の良い人がいるもんだとつくづく思う。もちろん,こゆ発想にたどり着くのに,まったく労力をかけない天才肌の人もいるんだろうけれども,凡人としては上のようなアプローチでお近づきになるしか方法はないんじゃないだろうか,と思ったりします。

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