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法律を理解していないのに技術を語る悲劇

2011年06月11日

某所にいんすぱいあされたので少し。

昔大学で法律を専攻しておきながら,現在ソフトウェアで飯を食ってる人としては,技術者の様子と法律家の様子のどちらも見えるわけだけれども,技術を知らないままに法律を語る法律家と同様に,法律を知らないままに技術を語る技術者の法律論議が,おっさんの与太話以上の話にならないことに悲劇を感じます。とゆか,「法律家を小馬鹿にする私」なるものに,何かしらの優越感なり技術者としてのアイデンティティを感じているかのようにも見受けられる。もしそうなのであれば,悲しい……とゆか,みっともないからやめた方がいいと思う。おっさん(とゆかガキ)の与太話は相手にされないから。

法律を(ちゃんと)専攻していた人と,そうでない人の違いは,おそらくバランス感覚にあって,それは実際によく感じるところでもあったりします。法律の場合,あるルール(あるいは解釈)によって利益を受ける人がいれば,多くの場合他方で損失を被る人が出る。どちらの立場からでも正当化できるようなルールを模索する作法について学ぶのが,法律の領域だったりします。法律をやってない人の話は,一方的に片側の立場を強調するだけで,制度論としてまともな議論になっていないことが多いからすぐ分かる。また,こゆ議論は,政治的=パワーゲーム的な局面に議論を引き込もうとする傾向もあって,非常に性質が悪い。

とはいえ,法律における制度論と技術論(特に設計論)はもともと似ているところがあったりします。どこら辺が似ているのか,少し抽象的に表現するなら,所与の環境なり資源なりを利用して目的論的にこれらを規範化・システム化するところ。法律の名宛人は大抵の場合,システムにおけるエンドユーザに対応します。あまり両者を摺り寄せて考えるのもアレなんだけれども,資源が有限であるにも拘わらず環境が複雑になる以上,その上に乗っかる法律論も技術論も,結局はバランス感覚の問題に帰着するのだと思う。優れた設計者は,資源利用に対するバランス感覚が卓越している。

したがって,法律に関する細かな知識についてはともかく,制度論についてまともな(バランス感覚を伴った)議論ができない技術者(特に設計者)は,本業の領域においても,極論的な対応や場当たり的な対応しかできていないのではないか,と思うところがあります。これは「憶測」と言っておくけれども,大部分当てはまっていると個人的には感じている。

カッコイイ言葉を並べ立てて高みに上ったと思ってる人が,とっちゃん坊や以上になりきれていないのを見ると,もう悲劇としか言いようがない(ある意味喜劇だけど)。

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