Entry

日本における anti-mammonism の様相について

2011年06月16日

mammonism とゆのは拝金主義のことだから,anti-mammonism とゆのは反-拝金主義とゆことなんだけれども,日本ではどゆいきさつでこういう感覚があるのか,ちょっと興味があります。西洋的には Puritanism と結びついていると考えられて,そこを軸とした価値観(極)で説明できると思うんだけれども,そゆ背景のない日本の場合は謎。

特に身近なところでは,GPL 周りの(狂信的な)支持者とその随行者に見ることができるんだけれども,どこからそうした心性が生まれのだろう。

もちろん,日本でも拝金主義は批判の対象になるわけだけれども(とゆか,「拝金主義」とゆ言葉に批判的な意味がある),それは(広い意味で)仏教的な,いわゆる「執着」にあたるからだと思えます。しかし例えば,ソフトウェアで生計を立てること,あるいはソフトウェアを商品にして事業にすることは,俗世で暮らす大部分が行っている生業のひとつだったりします。ソフトウェアについて(だけ),坊主でもない人がそこまで金を嫌うのは,どういったいきさつからなのだろう。プログラマはみんな坊主になれ,とゆことでもないと思うんだけれども。

ひとつの理由として考えられるのは,フリーウェアの文化を強調する反動として拝金主義が取り上げられがちなのではないか,とゆこと。つまり,拝金主義自体には格別興味はなく,フリーウェア文化を言及するのに伴って,対立軸を作りたいだけ,とゆ説。

一方,こゆ説も考えられる。フリーウェアの利用者の大部分は,そのソフトウェアの開発にほとんど貢献していないフリーライダーなわけだけれども,フリーライダーとゆ言葉に批判的な意味があることへの反動,あるいはその自覚に対する反動として,拝金主義者という言葉が使われるのではないか。フリーライダーという批判を正当化するために,拝金主義を持ち出す必要がある,と。これもひとつの説。

もっとも,最近は,フリーウェアも,企業がスポンサーになるプロジェクトが増えてきたので(例えば,SQLite プロジェクトには Adobe や ORACLE の出資がある),この理由はちょっと分が悪い気もするんだけれど。そのソフトウェアには,お前が嫌いな拝金主義者の金が入っているぞ,と。

もうひとつは,ソフトウェア技術を研究の対象にしているところで,ソフトウェア開発をことさら崇高な俗世離れしたものとして扱っている側面があるのかもしれない。MIT をはじめとした学術研究機関では,産学の連携を当初から想定に入れて(つまり売れる製品を作ること目的として),研究が行われる場合が少なくなくて,研究者はスポンサー探しにも奔走する(らしい)。研究を金儲けに利用することに対する嫌悪感は,ほとんどないんじゃないかと思う。それが目的だし。

これは個人的な印象だけれども,ソフトウェアに対して金の話を持ち出したがらないユーザほど,逆にソフトウェアの作者やソフトウェア技術に対する理解や敬意が薄いと思っていたりします。それは非職業開発者で,工数や実現するための難度が分からないからかもしれないし,単なるフリーライダーだからかもしれない。ネットで配布されているソフトウェアを,「落ちてる」とか「拾ってきた」とか言う人は,自分がどれだけのものを手にしているのか分かっていないのだとも思う。そゆ人に,拝金主義をもって批判する資格があるのか,とも思うんだけれども,ま,みんながみんなそうじゃないので,ゴニョゴニョ。

結局,日本の anti-mammonism がどこから来るのかはよく分からないんだけれども,とりあえずの印象としてはそんな感じ。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN