Entry

赤木智弘は丸山眞男をひっぱたけたか

2011年06月27日

なんとなくこちらから。はてな界隈ではおなじみの,なぜころ的な話なんだけれども。

募金でもボランティアでも何でもそうだけど、そういった「善行」が自分にとっては全く理解できない。

俺だけが人間の屑なのかもしれないけど

で,以前こんな話を書いたのを思い出す(度々出しているけれども)。

勝ち組と負け組の間には,根本的にコミュニケーションの断絶があります。それは「聞けるものを聞かない」という「態度」の水準における断絶ではなく,もっと原始的な意味での断絶です。つまり,「言っていることが(ほとんど物理的に)理解できない」という水準。そうした人からすると,死刑の是非や,なぜころ問答がいくら熱心に議論されていても,根本的に安全な(だと思い込んでいる)人間の与太話にしか聞こえない。なぜなら,なぜころ問答にいわゆる「人」は,社会的市民を指しているし,死刑も社会的市民の水準で意味づけられた「社会の」作用だからです。

qune: 勝ち組のお作法は無視することであり(アンチ)ヒューマニズムを標榜することではないという話

なんというか,今回の震災で赤木智弘は丸山眞男をひっぱたけたのだろうか,とゆのがずっと気になっていたのでした。話の筋が分からない方は,「「丸山眞男」をひっぱたきたい」を一読した上で,周辺の話を参照してください。ここで言う「赤木智弘」は,赤木智弘氏本人ではなく,抽象的な意味での赤木智弘的な人を指しています。同様に「丸山眞男」も,丸山眞男本人ではなく丸山眞男的な人を指しています。

今回の事態は,端的に赤木氏が想定する事態だったのだと思います。「国民全員が苦しむ平等」が今ここにはある。ここで赤木氏は,丸山をひっぱたかなければならないわけだけれども,彼(ら)はそれができただろうか。あるいは,できているだろうか。できなかったことへの代償は大きいと思う。

丸山をひっぱたくことができない代償は,すなわち,最も分かりやすい形で自己のルサンチマン,つまり,この社会における自己の奴隷的態様を露呈することなのだと思う。国民全員が苦しむ平等の下に,彼らが実際にどのような行動を起こすのか。ここ数ヶ月,あたしゃその様子を見ていたのだけれども,結局赤木は丸山をひっぱたくことができていない。ではどうなったか。

彼らが最終的に辿り着いた態様は,「勝ち組」からも「被災者」からも離れた場所で,「そのどちらからも抑圧されている弱者である」と主張し,自己を正当化する態度を選び取ったように思えます。その意味で,引用は非常に分かりやすい。これはもうルサンチマンの極みだろう。奴隷化まっしぐら。

結局,戦争(的事態)が起きても赤木は丸山をひっぱたけなかった。このようなエントリが出る以上,そう結論付けていいのだと思います。「なんだよ,根性なし!」とは,言わないです。

Trackback
Trackback URL:
Ads
About
Search This Site
Ads
Categories
Recent Entries
Log Archive
Syndicate This Site
Info.
クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
Movable Type 3.36
Valid XHTML 1.1!
Valid CSS!
ブログタイムズ

© 2003-2012 AIAN