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自尊心を育む家庭の話

2011年09月28日

ぼつぼつ考えていたこと。

なんというか,自分の体験談になってしまうのだけれども,あたしが子供の頃(小学校低学年くらいまで),うちの親はあたしのことをひたすら褒めていた記憶があります。もちろん,大きくなってからは手厳しいダメ出しもあったけれども,基本褒めてくれた。どんなにショボい絵を描いても,上手!と言ってくれたし,大して足が速くなくても「aian は足が速いなぁ」とか言ってくれました。とにかく,良いところを見つけて褒めまくってた。そんな印象があります。

で,これ,今になって改めて思うんですけれど,こうした「とにかく褒める」の姿勢は,自分の自尊心を上手く育んでくれたと思うんですね。

この点,巷で自尊心というと,過剰の場合を取り上げて,うぬぼれやナルシズムのような否定的な意味合いで使われることが多いです。しかし,実際そんなことは全くない。本来,自尊心は人間が生きていく上で必要不可欠な心の力だったりします。つまり,端的に言えば,「自分で自分を肯定する力(態度)」を意味している。どんな逆境にあっても,最終的に少なくとも自分だけは自分のことを肯定できる力,いじめられても,学校に落ちても自力で立て直すことができる力です。

うちの両親は臨床心理の人だったので,意識的に行っていたのかもしれないけれども,「とにかく褒める」の姿勢はありがたい反面難儀だったろうな,とか思ったりします(大してできの良い子どもじゃなかったので)。

一方,こうした「とにかく褒める」行為は,社会的にどのような場で行われるのでしょう。ここからはあたしが勝手に考えたことなんですけれど,思うに,これは身の回りの「母性的な場」で行われると思うんですね。念のために注記しておくと,ここで「母性的」としているのは便宜のためで,別に母親が母性を発揮する必要はありません。実際,あたしをよく褒めてくれたのは,主に父親だったし,ダメ出し担当で父性を発揮したのは,主に母親でした。

もう少し,あたしが考えている母性と父性を説明すると,母性というのは家庭(身内)の中で通用する性質を現しています。どんなに下手な絵でも,手放しで「上手!」と言えるのは,身内だから言えることですよね。他方,父性というのは,家庭から出た社会で成り立つ性質を現しています。子どもが描いた下手な絵を,世間一般のプロ基準で(父性的に)「上手!」とは決して言えません。母性・父性とゆのはそんな風な意味合いで使っています。

ここで,ピンと来る方がいらっしゃると思うけれども,こうした対置関係を取り上げた人にハンナ・アレントという人がいます。アレントはいろいろな意味で引用しやすい(されやすい)人なので,軽率に引くのもアレだと思うんですけれど,ともかく,そゆ人がいる。彼女は,現在(といっても当時だが),家庭の領域がとても小さくなってしまったことを指摘していたのでした。

子どもの自尊心を育む場所として,家庭は唯一の場です。その場が非常に小さくなっている。このことは,なんとなくあたしも実感するところだったりします。

例えば,お受験のように周りとの競争の枠組みで子どもを評価すること。お受験そのものは悪くないとしても,子どもを手放しで褒めてあげられる環境なのか,あたしはお受験したことがないから分からないけれども,なんとなく難しいんじゃないかと思っています。

また,「○○ちゃんはできるのに,どうしてあなたはできないの?」とか「お兄ちゃんはもっと良い子だったのに,どうしてあなたはそうなの?」とかいった具合に,他人と比べてその子を評価すること。これは,自尊心を育む上で最悪の行為だと思う。社会的な要素(基準)を家庭に持ち込むことに,大人はもう少し慎重になるべきなんじゃないだろうか。

そうでなくても,今時の子どもは,あまり子どもらしくない。大人じゃないのに大人よりも大人らしく振舞っている。某子役ちゃんなんかを見ると,特にそう思います。既存の社会が提示する基準に隷属しているかのように見えて,とても不憫に見えます。彼女の自尊心は満足に育まれているのだろうか。ま,勝手に不憫に思うのも失礼なんでしょうけど。

今日道を歩いていて,つらつら思っただけ。うちの地域は子どもが多いから,特にそう思ったのかもしれません。ま,ただそれだけ。

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